悪霊

 消毒液の臭いがするので、この部屋もまた病院の一室なのだろうとは思うが、しかし病室ではあきらかにない。あまり広い部屋ではなく、中央にやや大ぶりの白い机が置かれ、まわりに灰色のスチールの椅子が何脚か配され、壁に沿って書棚が並び、医学書ばかりが収められている。医学生が使う部屋ではないかと思う。大学附属の病院であるので。机の上には、高さ50センチほどのガラス瓶が何本も置かれ、それぞれの内に満たされた透明な液体に浸かっているのは、切断された人体の各部分の標本である。こうした標本の保存液というのは、たいていは黄色みを帯び、いっぽう標本それ自体は色が抜けて、生きている状態とはかなり違った姿になってしまっているものだが、この瓶の液体はまったく無色透明であり、標本そのものも変色することなく、生前の姿をそのまま保っている。今しがた死んだばかりの者を、血抜きし解体して水に浸けたといった様子である。ホルマリンではない、何か、特殊な保存液を使っているのだろう。胸部と腹部は裂かれて内蔵が露出しており、腹部の臓物の一部は観察しやすいよう引き出され、垂れ下がっている。頭部もまた打ち割られ、片側の目から頬までが失われているが、人相は分かる。そのように処理されているにもかかわらず、病理標本としての主眼はどうやら皮膚表面にあるようなのだ。全身のいたるところに、赤黒い、大小さまざまの、不定形の斑がある。非常に目立つものであり、これが死因としか思えないのだが、なぜ、わざわざ死体の内部を見せるように標本化されているのか、解しがたい。内部に病変らしきものは見当たらないのである。専門家が見れば何か思い当たるところがあるのかもしれないが、少なくとも素人の私には、皮膚表面を見せるついでに、腹を裂き、頭も割ってみた、ということのようにしか見えない。もしもそうなら、随分と失礼なことである。というのも、患部の様子、および半分のみ残存している顔面の造作からして、これが私自身の死体であるのは間違いないからである。
 症状がにわかに悪化して救急外来にかつぎ込まれ、そのまま入院することになって以降、私は一度も鏡を見ていないし、そのとき既に身じろぎさえままならぬ状態だったので、自分の肢体が実際どのような有様になっていたのか知らない。だが、それ以前、発症してまもない頃の、まだ数もそう多くなく、さほど大きくもなかった斑の位置を、はっきりと記憶していて、それが標本の無数の斑のうちでもとくに大きく、生きながら腐敗が始まっていたとおぼしき、見るからに禍々しいいくつかの斑の位置と、正確に一致している。入院したのは、みぞれの降る冬の日だった。今、窓の外では緑の木々が青空の下に明るい。風が強い。木々の葉が陽光にきらめきながら波打つように揺れている。窓は両開きの大きな窓で、やはり風を受けて、押し開かれそうに震えている。これは初夏の景色である。春の記憶が私にはない。入院した時点でもう私の意識は苦痛を感じることのほかに何の働きもしなくなっていたが、その意識さえ数日の後には失われていた。いつ死んだのかは分からないが、少なくとも標本として完成されるだけの日数は経過しているわけだ。窓を背にして、白い机のほうを向いて立っている私の、向かいの壁にある書棚にはガラス戸がはまっていて、そこに机とその上の標本は映っているけれども、私の姿は映っていない。
 私自身には自分の姿が見えているのである。ただ、入院中に着ていたはずの患者用のパジャマではなく、搬送された時に着ていた服を着たままであること、また、私を死に至らしめたはずの斑が、まだ少なく、ごく小さいままであることが、奇妙である。もしかすると、実体として存在している自分の姿ではなく、自分の姿はこうであるはずだという、記憶の像を見ているにすぎないのではないか。患者用パジャマを着た自分の姿を、私自身はほとんど目にしていないのである。そう考えはじめると、心なしか、まわりのものに比べて私の体はやや淡くぼんやりしているようだ。やがて生前の記憶が薄れてゆくにつれ、私自身にさえ私が見えなくなっていってしまうのではないか。姿を持たないというのは、どういう感じなのだろう。想像すると、寂しく、心細くなってくる。だが、それはそれで、案外、慣れてしまうものなのかもしれないとも思う。というのも、現に、生きていた頃に比べて、身が軽くなった感じがあり、これがなかなか不快でもないのである。軽く跳びはねてみると、たしかに、かつてよりも高く跳ぶことができる。自分の体というものがひとつの塊としてここにあり、足の裏をもって接地している、という観念が薄れてゆくにつれ、重力から自由になれるのではないか。そう想像してみれば、やや愉快な気分にもなってくる。
 ドアが開いて、白衣を着た初老の男に率いられ、普段着姿の若者が十人あまり、廊下から入ってきた。広くない部屋はいっぱいになった。私は跳びはねるのをやめて彼らを見たが、彼らはこちらに気付かない。医学部の教授と学生たちであろう。学生たちは標本を見て、一様に、嫌な顔をした。私も愉快ではない。いっぽう教授のほうは得意らしい顔つきで彼らを見回している。尊大な人相だと思う。性格が、下目遣いと、への字のまま固まってしまったらしい口元と、高価ではあろうが品のないベッコウ縁の眼鏡に表れている。いや、外見で決めつけるものではないと思うけれども。標本を作ったのはこの男だろうか。私の主治医でもあっただろうか。入院して以降のまともな記憶がないので、確実なところは分からないが、おそらくそうであったろうと思う。私は不運な患者であったのかもしれない。いかにも手入れに余念なさげな口ひげを生やし、かつ禿頭である。眼鏡の下から学生たちを睥睨し、ガラス瓶の中の哀れな患者について説明を始めた。
「これは、この極めて稀な疾患における末期症状の特徴を、完璧に示している素晴らしい標本であるので、とくと観察しておきたまえ!」
それからドイツ語やラテン語をまじえて説明しはじめたので、私にはよく分からない。ただ、話がこの病気をもたらした原因について説明する段に至ったとき、それが平明このうえない日本語で語られたこともあり、私は大いに驚いた。不摂生が原因であるという。そう指摘されるほど乱れた生活をしてきた覚えがないのである。しかし教授は引き続き不摂生の具体的内容を次々と言い立てはじめた。糖分の摂りすぎ、過度の飲酒、運動不足、睡眠時間の過多、云々。たしかに私は甘いものは好きだし、酒も飲み、よく寝るほうではあったが、人並みはずれてそうであったという気はしない。しかし指摘はさらに容赦なく私の人格上の欠点にまで踏み込んだ。精神の不健全さが肉体に及ぼす影響は計り知れないのだそうである。怠け者。優柔不断。小心。無責任。たしかにそれはそうだが、やはり誰しも多かれ少なかれそうである程度のものであると、少なくとも私自身には思われるのである。淫蕩。虚言。まったく心当たりがないとは言わないが、少なくとも生前そうしたことで大きな問題を起こしたりはしなかった。浪費。吝嗇。矛盾しているではないか。不信心。涜神。困惑するばかりである。思いつく限りの悪徳を並べ立てているだけとしか思えない。言いがかりもいいところである。しまいには「その他諸々の罪」とまで言い出した、教授の顔にそのとき死人に対する侮蔑の笑みが浮かんだ。死人みずからの罪ゆえに、自業自得で死んだ、と言わんばかりである。医者として患者を治すことができなかったという反省はないのである。私はこの厚かましい薮医者のせいで死んだのである。さらに彼は恥知らずにも、指示棒でもって標本の瓶のひとつをからかうようにつついた。その瓶には、どうやら、生きた人間であれば他人には見せないような身体の部位が収められているらしかった。
 この明らかな冒涜に対し医学生らはいかなる違和感をも示さない。いささかの疑いも持たずにメモをとり、スポンジの素直さで吸収し、さらに模倣する。医学的倫理とはすなわち教授が身をもって示すところのものである。たいした優等生たちである。彼らは患者の生前のおそるべき悪徳がもたらした当然の報いとしての死をおそれ、嘆息し、ほとんど胸の前で十字を切らんばかりである。彼らは自分で考えるということを知らない。自分で考えること自体が罪である。彼らは限りなく従順である。羊である。教授がつついた瓶の中身を、彼らは顔をしかめて、世にもおぞましい、汚らしいものとして眺めている。しかし私の見たところ、本当におぞましく汚らしいのは貴様らのほうだ。
 天井で大きな物音がした。見上げると、天井板に5、60センチほどの亀裂が入っている。私だけでなく教授も学生もぎょっとした様子で、口を開けて見上げている。何事か分からないが、それがちょうど私の憤激が頂点に達した瞬間であった以上、ひとつの可能性を検証してみる価値はある。私はすぐさま両開きの大窓に向かって念じた。窓は割れんばかりの勢いで開き、初夏の強風が、木々の葉の波打つ音と、草の匂いとともに吹き込んできた。あっけにとられている教授と学生たちは、一瞬の異常な暴風が窓を押し開けたと思っているかもしれないが、私はすでに完全に理解していた。ポルターガイスト(騒霊現象)だ!
 生きていた時分には、どれほど腹に据えかねることがあろうとも、据えかねるそれを無理にでも据えて、抑えつけていた力は、鈍重な肉体の力であったのかもしれない。それは相手を攻撃する代わりにおのれ自身を攻撃するという、愚かな真似をしさえした。据えかねるものを据えた腹は痛くなり、むかつく思いを呑み込んだ胃袋は荒れた。実際には誰よりも短気であった私は、それを抑えたがゆえにこそ、もしかしたら命取りの奇病に罹ったのかもしれず、そうなら確かに、忍従という不健全、不正直という悪徳が、肉体に及ぼす悪影響には計り知れないものがあるわけだ。幸い、肉体の重い鎧はすでに脱ぎ捨てられた。私の怒りは、生前には誤って良心と讃えられることもあった、世間体を気にかける弱さがその本質であるところのものに妨げられることなく、ただちに表現を得るようになった。いまや私は堂々たる悪霊である。こうなってしまえばこっちのものである。
 教授と学生たちはまだぽかんと窓を眺めている。私は机に向かって立ち、背後からの風を、私を支援するもののように感じながら、目の前のすべての標本に向かって、楽隊の指揮者が最強奏を命ずるように片腕を高く振り上げ、振り下ろす仕草をした。ガラス瓶が一斉に彼らへ向かって傾き、倒れながら破裂した。ああともおおともつかぬ、獣の吠えるような声を上げながら彼らは飛びすさったが、後を追うように無数の肉片が飛び散り、保存液とともに床や壁やを汚しながら、彼らの総身にべちゃべちゃと付着した。保存液はやはりホルマリンではなく、砂糖を焦がしたような甘ったるい匂いと、かすかな血の臭いめいたものとが混じり合いつつ室内に充満した。毒性のある臭気という感じはしないが、おそらく気分の良いものではあるまいに、誰も部屋から逃げ出さないのは、ある者は足がすくみ、ある者は腰が抜けてへたり込んだまま、身動きが取れなくなってしまったらしい。泣き出した者もある。少し気の毒である。はた目にもはっきり分かるほどぶるぶる震えている者もある。私は、もちろん驚かすつもりでやったのだが、そこまで怖がるというのは、もしかすると私の病気というのがじつは感染性のもので、かつ、すでに標本として処理されているにもかかわらず、まだ感染力が保たれたままなのではないかと疑った。私は、やり過ぎてしまったのだろうか。だが、そんなことがあるだろうか。単に、罪深い、おぞましい、汚らしいものが、それから完全に守られていたはずの自分たちに向かって、いきなり飛びかかってきたということ、そのこと自体に動転しているだけだろうとは思う。それに、万が一にも若干の感染力が残っていたところで、彼らの説に従うならば、高い徳によって発症を免れるはずではないか。にもかかわらず摩訶不思議にも発症してしまったならば、諸君は医者とその卵なのであるから、私の悲惨な症例から学んだことを生かして、ぜひ頑張って対処していただきたい。
 教授は書棚に背をもたせかけて床にべったり座り込み、視線を宙に漂わせている。ベッコウ縁の眼鏡がずり落ちかけている。机の上にはまだガラス瓶の一本の下半分が倒れずに残り、保存液はすっかり飛散してしまったが、標本そのものは、原形をとどめない肉塊となりはててはいるものの、底のほうに少々残っている。瓶の位置からいって、指示棒でつつかれていた瓶であろうと思われる。肉塊を手でつかみ上げてみると、淡い影のような手ではあるけれども、はっきりとした手応えを感じることができる。ぐにゃぐにゃとして、一部はミンチ状になり、指の隙からぽたぽたと落ちる。不思議に生あたたかく、まるで今しがた死んだばかりのもののようであるのは、保存液の特性として若干の熱を帯びるのでもあろうか。これらの手応えが本当に私の手の感覚であるのか、それとも、念の力でつかみ上げ、霊としての感覚でもって捉えているものを、知らず知らず生前の記憶の手の像と重ねているのかは、やはり定かでない。何にせよ自分の手としてまだ機能しているのは確かであり、私は瓶の底に残っている限りのものをわしづかみにつかみ出し、そのまま教授のそばへ走り寄り、力の限りに、
「喰らえ、この糞野郎!」
その禿頭に叩きつけた。肉塊は頭頂に弾け散り、顔面に崩れ落ち、先刻は何やらお楽しみの様子でつついておられたものにまみれて、教授は白目をむいて気絶してしまった。
 長年働いてくれた私の肉体に対し、最後のお勤めがこれとは申し訳ない気もするが、いや、最後にふさわしい活躍の場を与えたという気もするのである。私はせいせいとして、明るい窓のほうへ向きなおると、いよいよ身が軽くなっている自分に気がついた。姿もさらに薄れて、もはや私の目にも私がよく見えないのである。つま先で床を蹴ると、羽根のように舞い上がる。ならば、こんな狭苦しい、薄暗い、うんざりするような室内にこれ以上とどまる必要もない。とはいえ、まだそこに這いつくばってうめき声を上げたりしている人々のことを、やや気の毒に思わないでもなかった。しかし彼らは何といっても医者とその卵たちである、自力でどうにでもするだろう。そう考えれば肩の荷もすっかり下りて、私は気軽な散歩に出るように窓の外へと歩み出した。そこは建物の三階という高さであったが、さらに高いところへと、愉快に青空を昇っていったのである。