夕鐘

 世界の果ての岩山の頂に、石造りの巨大な塔がある。やはり石造りの、ただの四角い箱でしかないような、まったく装飾のない三階建ての建物を台座として、その数倍の高さの、これも何の飾り気もない、単に細長く引きのばされた円錐形というばかりの塔が載っている。壁面は丹色に塗られている。長い年月の間に褪色、剥落した部分もあるが、全体としてはなお鮮やかさを保っている。そもそもが夕日の色に似ている丹色の上に、さらに夕日の光がさして、むしろ塗りたてを思わせる強烈な色あいである。
 塔にも、台座にあたる建物にも、ところどころに窓があるが、ただ四角くくり抜かれたというだけの、雨風を防ぐものの何もない、単なる穴である。窓の内は暗くてよく見えない。
 はるかな高み、塔の頂を見上げると、陽光を浴びて鋭く光るものが突端にあり、それがこの建物の唯一の装飾かと思われるが、十字架らしく見えるものの、あまり遠すぎてはっきりしない。わずかの雲もなく晴れた空は、西日の赤みをいくらかおび、微量の血を混じたような青色をしている。
 視線を下ろして再び三階建ての建物を見ると、窓のひとつから何かが垂れ下がっている。人間の形をしている。その背には白い翼がついている。天使か。しかし、前屈させた体の上半分だけを、頭を下にし、両手をだらりとぶら下げた形で建物の外にさらしているそれは、あきらかに死体である。それも、翼の部分にこそかろうじて白い羽根を残してはいるものの、そのほかの部分は黒ずみ、どうやら腐敗が始まっているようだ。そのあたりの壁の丹色に、腐汁の滴りらしき汚れも見える。窓の奥の暗がりに何かが積んであるのがぼんやりと見え、それら自体が黒っぽいので、暗がりのなかでは非常に分かりにくいのだが、ところどころに混じっている白いものが、闇のなかにおぼろに浮かび上がっている。その白さは死体の背の翼の白さによく似ており、してみるとそれらはすべて死体なのではないか。
 目の届くかぎりの窓の内をよくよく見ると、いずれの窓の内もそうであり、目の届かぬところの窓も、死体の山を蔵していてもおかしくはない、不吉な暗さである。あたりには聖堂で焚かれるような、かぐわしくはあるが甘やかさはない、厳粛な香りが漂っている。もしかすると天使の屍臭がそういうものであるのかもしれない。そこに雷のごとき巨大な声がとどろきわたる。何者の声とも知れぬ声、ただ恐ろしく傲慢かつ冷酷らしい声が、天に響き、地を揺るがせる。
「聖である。聖である。聖である」
蒼穹も砕けよとばかりに鐘が鳴る。塔の頂から発せられたその鐘の音は、世の人々の耳には届かない。世界の果ての、高みの高みからの響きは、しかし、世界の深みの深みへと降りてゆく。最も深いところから、人々の心の深みに忍び入り、誰にも気付かれぬ間に、あまたの人々を支配する。