緑影

 森のなかの小川のほとりに白い花が咲いていた。黒く濡れた石の間から、すらりとした茎をのばし、縁に細かな切れ込みのある葉を幾枚も大きく広げ、小さな四枚の花弁からなる花を、茎の頂に、花冠のように群がり咲かせていた。なずなに少し似ていたが、ひとつひとつの花が、小さいとはいってもそれよりは大きく、かなり離れたところからも四枚の花弁を見分けられるほどで、草の全体のかたちもゆったりとして優美であった。しかし特に目立つ花でもなく、その白さは冴々としたものではなく、かすかに緑がかって、森の緑に柔らかく溶け込んでいた。つつましく安らかに、この美しい川べりで静かに夢見ていることのほか何ひとつ求めない、すでに満たされている者のおだやかな微笑みのように、その花は咲いていた。私はその幸福なたたずまいに惹かれたのである。そして、花が微笑んでいると感じたのは、草木と人間とをそう異なったものではなく、仲間、もしかすると相互に転生可能なものであるかのように感じる私の夢想癖のせいであった。その夢想癖は、さらには他愛もない、いつも変わりばえのしない感傷的な物語を、私自身に向かってささやきはじめるのであった。すなわち、そうした花はかつて人間の世界にあって不幸せな少女だったのである、と。たとえば療養のために人里離れたこの森の別荘で暮らすうち、寂しさに耐えかねてあてどなく森のなかをさまよい、あるいはその病がそもそも錯乱を伴うものであったかして、木立ちの奥の闇にのまれ、ついに人間の世界に帰ることがなかった。小川の上流に、私は行ったことがないが、深い湖があり、高い崖にかこまれているという。そうした崖から足をすべらせたとしたならどうだろう。そうでなくとも、森の奥で道を失うというだけでも、病弱の少女であれば数日をまたず命を失うに違いない。病が彼女の体よりもむしろ心を苦しめていたのであれば、死へと引き寄せられた可能性もあろう。それを望むならば、そのための場所は湖畔の崖にとどまらず、森のなかにいくらもある。いずれにせよ人の世を去る彼女の足取りは、おそらくは必ずしも重いものではなかった。むしろ軽やかでさえあったかもしれない。もとより喜びのために軽やかであったなどとは思わないが、喜びでも悲しみでもなく、苦しみは強くともあまり自覚的ではなく、日々の散策とそう違わない足取りであったような気がする。錯乱していたとしても静かで穏やかな錯乱であった。というのも、そもそも彼女ははじめから、半分しか人間ではなかったのである。人の世で、人の姿をして、人として考え感じるには、彼女はあまりに軽やかで透明な素材でできていた。それこそが彼女の不幸の本質であった。人間として生きるには、もっと鈍重で不透明なものからできていなくてはならないのだ。生から死、そして花としての生への移行は、ほとんど驚きもなく、まったく自然なものとして起こっただろう。ことによると気付きさえしなかったのではないか。ただ、それまでの苦しみが終わったということ、解放されたということを、はっきりと意識はせず、しかし彼女を包み込んだ幸福の感覚、晴れやかな気分によって、ぼんやりと知ることはできたかもしれない。数限りない草木の葉が森を満たしているのと同じぐらいに、目には見えないけれども森に満ちあふれている、心優しい草木の霊たちに迎え入れられ、護られて。
 絵空事である。だが私には、それが実際ありそうなことに思われてならない。甘い感傷である。だが、人の世を一歩出れば、その感傷的な夢こそが真実である世界が存在するという気がしてならない。気がする、というばかりである。信じてはいない。しかし夢想は際限もなく、執拗なまでに心に浮かび、目の前に思い描かれる。――木の間越しの日がやや傾きはじめていた。そろそろ森を出て町へ帰らねばならない。


 「ああ、可哀想に!」
 突然に響いた少女の声に、私は驚いて、町へ向かおうとしていた足を止めた。見渡すかぎりの緑の海に、私のほか誰ひとりいはしないのである。しかし私はすぐにその声の主が何者であるかを理解した。不思議なことだが、目がとらえたのではなく心がじかにとらえたのである。白い花の声であった。白い花が私のために嘆いたのだ。だが、私の何を嘆いたのか分からない。私はといえば彼女のことをこそ気の毒に思っていたのだ。――花のあたりに優しくやわらかな気配があり、目には見えないが心にじかに、美しい少女の姿が浮かびあがる。花のように穏やかな白さの、清楚な、飾り気のないワンピースを着ている。十三、四歳らしい、あどけない顔に驚きの色を浮かべて、両手で口もとをおさえている。まさか私に声が届くなどとは思っていなかったらしい。私がまさか花から声をかけられるとは思っていなかったのと同様に。
 少女のそばにまた別のものの気配があり、それは何か老いたもので、それだけ落ちつきと賢さを備えていた。
「そんな大きな声を出すからですよ」
と小声で少女をたしなめる声は老女の声で、明るい灰色の着物に苔色の帯をしめ、白髪を丸髷に結っている姿が、私の心に映じた。そして私のほうへ会釈を送ってきているのであったが、少女ほどではないにせよいくらかの当惑の気配はあった。とはいえ警戒しているというのではなさそうで、ただ、年経たものの記憶のうちにもあまり例がないらしい、風変わりな客を向かえる顔色ではあった。
 そのとき気付いたのは、彼女らのまわりにさらに多くのものの気配があり、そればかりか視野に入るかぎりのいたるところに、とはいえ目に見えはしないのだが、じつにさまざまのものがいて、こちらをうかがっているということだった。心に結ばれる像はいずれも和服姿、それも当世の人間が昔ふうの格好をしているのとはどこか違って、本当に誰もがその格好をして暮らしていた時代のままに、今なお暮らしているといったふうな、しっくりと身になじんだ感じがあった。彼らのうちにはたして白い花の少女のように、もとは人間であった者がどれくらいいるのか、私に分かることではないが、多くははじめから森に住まう草木の霊たちなのではないか。少なくともワンピースのような新しい時代の衣装をまとうことで、最近になって彼らの仲間に加わったことをほのめかしている者は、少女のほかになかった。子供や若者の姿をしている者たちもあったが、みな古風ないでたちだったのである。こちらへとそそがれている彼らのまなざしには、風変わりな客への戸惑いもあれば、あきらかな好奇心もあったが、やはり警戒している様子ではなく、おおむね優しげで、彼らの身なりの示す古い時代の平和な山里に住んでいた素朴な村人を思わせ、しかもかなりの者に私のことを心配するような、気の毒がるような表情があったが、なぜなのかは分からなかった。
 真っ白な髪を総髪にして、やはり真っ白の髭を長くのばしている、檜皮色の和服を着た老人が、小川沿いの細道の、森の奥のほうから静かに歩いてきた。その姿は威厳があるとともに、いでたちが示しているよりもさらに遠い昔からの存在なのではないかという気がした。というのも、ほんの一瞬ながらも、その衣装が檜皮色の狩衣と黒い烏帽子に見え、さらには髪と同じほど白い衣をまとって勾玉を首に飾っている、古代の人の装束にさえ見えたのである。――他の者たちにしても、じつは近世よりもさかのぼる存在なのではないかという感じがするのだった。彼らの着物は、彼らがこの森に現れた時代を正確に反映しているとは限らず、単に、私から見てはるかな過去からここにいるのだということを、象徴しているにすぎないのではないか。私には、自分が彼らの本来の姿をありのままに見ているという気がしないのだった。心に映し出された像は、ちょうど夢の映像と同じで、私に何かを伝えるための比喩のようなものにすぎない。彼らには本来、人間にとらえうる形姿などないのではないか。――ともあれその翁は、ここに暮らすあまたの霊たちの中でも、おそらくは長老なのであろう。
 翁はにっこりと笑って、
「客人よ、さぞ驚かれたことであろう。私どものこの娘はまだ幼くて、何をしてよいやらならぬやら、弁えがつかぬのだ。枝の小鳥もあわてて飛び立つほどの大声を上げるなどとは、じつに無作法、まことに申し訳ないことであった。いや、幼さゆえのこと、大目に見てやってはくださらぬか」
そのかたわらで少女が恥ずかしそうに頭を下げた。私はむしろ恐縮して、たしかに驚きはしたけれども謝っていただくには及ばない、単に思いがけなかったというばかりで、少しも不愉快ではなかったのだから、と答えた。
「おお、そう言っていただけると、まことにありがたい」
老人は丁寧に頭を下げ、少女ははにかみがちに微笑した。それから老人は少し気がかりらしい顔をして、
「じつは、客人よ、この幼い娘はたしかに無作法ではあったが、とはいうものの私どものような者の声を、たとえ大声であっても、聞き取る者はそなたたち人間のうちにそうそうおらぬのだ。まして、かくのごとく私どものひとりひとりを認め、言葉を交わすなどという者は」
一旦言葉を切って、私をじっと見つめた。優しい目であったが、また真夜中の湖のように底知れぬ目でもあった。私は少し怖くなった。
「そなたは、人間として暮らしておられるが、まことは人間たちよりも、おそらく私どもに近い」
私は驚き、しかし不思議に腑に落ちる感じがあって、そのために心の深いところではむしろ安堵感をおぼえもした。少女がいたわるように私を見た。翁は依然として気がかりそうな顔をしていた。
「そなたの、人間と精霊のあいだの目で、私どもの姿がどう見えているのかは知らぬ。だが、おそらくは人間としてのそなたにとり分かりやすい、人間らしい姿で見えているのであろう。私どもに、私ども自身がどう見えているのかを、人間にとり分かりやすく言いあらわすことはとても難しい。無理をしてまで言いあらわす必要もあるまい。ただ、私どもにそなたがどう見えているかは、お話ししておいたほうがよかろうと思う。私どもは森の霊であるから、その目には人間というものもいくぶん、森のものに近いかたちで見えている。そこで、あまり驚かずに聞いてほしいのだが、そなたの姿は病葉のように見える。ところどころが黒ずみ、それが不吉な黒さで、さらには朽ちたように穴が開いてしまっているところさえある。一目見て、心配になるお姿をしておられる」
あたかも自覚症状のない重病を医者から告げられたようなものである。少女をはじめとする森の霊たちがみな老人と同じものを見ていると、彼らの表情から知れる。
「すべての草木には育つにふさわしい場所がある。ふさわしからぬ場所に芽吹いたものは、病み、枯れてゆく。そなたにとり人間の世界は苦しかろう。まことは、私どもと共にあるべき御方である」
そんなことがあるものかと思ったが、心当たりがないでもない。幼い頃、記憶にある限りの幼い日々から、私は、人間の世界で生きることに何がしかの違和感を抱いてはいなかったか。今にいたるまで、多かれ少なかれ苦痛をおぼえずに過ごすことのできた日々がどれほどあっただろうか。それも、他の人々がまったく顔色を変えずに、あるいはむしろ微笑しながら通過していく、あまたの事どもについて。やがては慣れることもあろうかと思いながら、年月をむなしく過ごし、なお慣れることができない。せめて私にとり生とはそのようなものであると自分を納得させる努力をしてきたものだが、その努力を私自身がどう評価しようとも、見る者が見れば、生の日数の分だけ確実に病み、枯れてゆきつつあることを、あきらかに見てとれるのかもしれない。
「私がこの森でみなさんと共に暮らす手だてはありますか?」
そう尋ねてみたが、自分でもなかばうわごとのように感じられ、この問いに対して可能な答はおそらくひとつしかあるまいと、すでに分かっていたのである。そして翁は躊躇しながら、やはり言った。
「それを望むならば、そのための場所は森のなかにいくらでもある。小川の上流に深い湖があり、高い崖にかこまれている……」
崖へ向かう私の足取りは白い花の少女のように軽やかであろうか。私の足は鉛のように重く、鉄の柱のように土中に深く打ち込まれ、地の底にまでめり込もうかというばかりにこの世に執着し、少女に顔向けのできないほどのあさましさであった。この世でまだやらねばならぬ仕事があると、私の心は言った。この世に置き去るわけにいかない人々がいると訴えた。それはそうなのだが、どこか、言い訳じみている。いや、言い訳ではないかもしれないのだが……、私は、私自身にとり不透明であり、暗く模糊たるものである。要は、死ぬのが怖いだけではないのか。目の前にいるこの霊たちは、幻覚にすぎないのである、と私の凡庸で退屈な分別心がもったいらしく言い立てる。幻覚であろうものの、真実かもしれないという微々たる可能性に賭けるほどに強い翼を私の魂は持たないというばかりである。私が生きるのは弱さゆえである。いや、どうだろう……。
 心のなかでしどろもどろの自問自答を繰り返しながら、黙ったままでいる私の様子に、翁もまた黙ってまなざしを注いでいたが、やがて静かに二、三度うなずき、
「人間として存在するとは、そういうものである。……私ども森の霊にはほんとうに分かってさしあげることなどできはせぬが、おおよその察しはつく」
そのまなざしはごく優しく、さらに私に微笑みかけて、
「私どもと共に暮らすことはできずとも、なるべく、そなたの人間としての暮らしの合間に、森においでなさい。できるだけ足繁く、少しでも暇ができればそれを逃さず、私どもに会いにきなさい。そうするうちに、わずかずつであれ癒されてゆくであろう、少なくとも、苦しみをいささかなりとやわらげることはできるであろう」
諭すようにそう言った。だが、それでは私のこれまでの生活と、行動の上では何も変わりはしないのである。それでも、あたたかく迎えてくれる者があると信じられるなら、大きな違いではないか。信じられるだろうか。幻覚であるとする分別心の大きな声、騒々しいシンバルのごとき声にもかかわらず、私自身にも意外なことであったが、闇のなかの小さな灯のように、信じる心がたしかにあるのだった。それは疑いの嵐に対してあまりに頼りなく弱々しいものではあったが、それでもなお、消えてしまう気配はなかった。
 少女がこちらを見ていた。あの軽やかにして透明なものが、私にいかなるまなざしを向けていることかと、恐ろしい気がしたが、それは思い過ごしであった。私の問題が彼女とは違うかたちで、それなりに落ちつきつつあることを、その澄んだ目はただ安堵の思いを浮かべつつ見守っているのみであった。誰もが同じ道すじをたどって唯一の終着点に行きつく必要もないではないか。そのことでみずからを恥じたり責めたりなどするのは、おそらくはまさに鈍重にして不透明な者のみなのであろう。彼女の心はそのような濁った感情を知らない。
 私を見ている精霊たちのうちには、なお心配そうな顔をしている者もあった。小川の向こう岸からこちらへと、水の上に張り出している木の枝があり、あまり太い枝でもないのだが、若い男の姿の霊がそこに腰かけていた。人間ではないのだから、枝が少しもたわまないのは当然なのだが、とはいえ不思議に見える。白地に黒い細かな絣模様をびっしり散らした着物を、尻端折り、髪はほとんど逆立っているような蓬髪のその若者を、私は、やませみの精霊ではないかと思った。ぶっきらぼうだが優しさのある声で彼は言った。
「でもよ、気の毒じゃねえか、せめてちょっとした手みやげだけでも、そうだ、薬草だよ薬草、人間に効くやつさ、森ん中にはいくらだってあるはずだ……俺は、そこいらの小鳥連中に効くやつなら、ちと心得があるんだが、人間のは……誰か、知らねえか」
きょろきょろと見回して、
「あ、あれが効くのじゃなかったか。違ったかなあ」
私がいるほうの岸の木立ちの奥のほうに、枝越しの日の光にやや明るい斜面が見え、うるしに似た葉を茂らせている木があって、ビー玉ほどの丸い赤い実をたわわにつけている。葉は美しく、実は甘そうで、いかにも魅惑的なのだが、たしか、毒があるのでなかったか。うろ覚えの知識だが、もしかすると、致死性の毒でなかったろうか。小鳥たちならば、少なくともある種の小鳥は、平気で食べると聞いたことがあり、彼らには美味なばかりでなく薬にもなるのかもしれない。それでも、人間自身の目に見える人間の体にではなく、霊たちの目に映る人間の体に作用させればよいのだから、例えば、おとぎ話の魔法の薬の作り方のように、あのつややかな葉にたまった朝露を集めて、それを私のための霊薬として使うことはできないものか。いや、それでもなお充分に薄まらない猛毒かもしれない。やはり怖い。
 若者も自信がないようで、しきりに首を傾げている。その様子が、小鳥が首を傾げるのに似ていて、やはり、やませみなのだと思う。ほかの者たちにも心当たりの薬草がないようで、一度だけ、木々の奥のどこかから「山ぶどうが効くかもしれないね、でも、あれは秋だからねえ」という声がしたが、それきり皆黙って思案顔である。若者も考え込んでいる。はたして彼は、記憶にあるかぎりの本草学の知識のなかから、私の状態に合った処方を探ってくれているのか、それとも、そもそも私の状態それ自体がよく理解できずに悩んでいるのだろうか。さきほど老人が、ほんとうに分かってさしあげることはできない、と言った。長老とおぼしき翁でさえそうなのである。もしかすると、人間として癒されることと、霊として癒されることとの区別が、やませみの兄さんには、はっきりとはつかないのでないか。霊としてなら、あるいは死が癒しとなることも、あるのかもしれないのである。少女がそうであったように。だからこそ、迷いながらも、私に毒の実を勧めてみたりなどしたのではないか。彼らには、死などはガラス戸かカーテンほどのものであろう。鳥や獣であれば、死を怖れるとはいっても、その時が来れば人間よりは慌てふためくことなく死んでゆくのであろうし、まして草木などは従順そのものである。彼らには、人間にとっての死がいかなるものであるのか分からない。彼らは人間を知らないのである。とはいえ人間が彼らを知らないことに比べれば、何と多くを知っていることか。人間たるや彼らの存在を知らないばかりか、存在を否定する。
 誰かがまたいずれかの草木をさし示したならば、それはやはり死の薬であるかもしれない。善意からには違いないその提案に、私はどう対処したらよいのだろうかと不安になったが、ついに誰からも新たな意見はなく、若者は残念そうに首を横に振った。木々の間にさす日の光はさらに傾き、やや夕刻の赤みを帯びはじめていた。私は、もう帰らなければならないと言った。彼らのうちにはまだ気がかりらしい表情を浮かべている者もあったが、多くはむしろ私が町へ帰りつく前に暗くなってしまうことを案じた。翁から、道の途中まで送ろうという申し出があった。
「私どもは森の者であるから、森から出るわけには行かぬ。そなたのように精霊の姿が見える者が人里に他にそうそうおるとは思わぬ。ただ、人里に踏み込むことを私ども自身が好かない」
私の横を翁が歩き、後ろから丸髷の媼と白い花の少女が手をつないで続き、枝づたいにこちら側の岸に来た蓬髪の若者が、地面には降りずに枝々を危なげなく、飛ぶような軽やかさで渡りながらついてくる。まだ言葉を交わしたことのない精霊たちのなかにも、一緒に来る者たちがいる。ごく気安くなごやかな空気があり、まるで親戚で集まって故郷の道を散策しているようだなと思う。とはいえ、ありありと彼らの姿が見えはするものの、あくまでも心に映るというばかりであるから、これは狂気ではないかという疑いを捨て去ることは、ついにできない。小川のほとりの白い花に薄明の少女を夢見た、そのときまでは夢想と現実との境界を弁えていたのに、狂気がその境界を突き崩してしまった、この光景は病的な幻想である。一方、夢想は世の人々が思っているほどには現実と異なるものではなく、世の人々に知られぬ現実、もうひとつの現実の扉を開ける鍵であって、花を見ながら夢見たことが、いつの間にか、それが鍵でありうることさえ知らぬ間に、不思議の扉を開けていたのではないか。そういうこともときには起こるものなのではないか、という気もするのだった。それこそが狂気の感覚であるとも考え、その考えは私の心のおおかたを占めたが、そうではない、という考えは、より深い、もしかすると最も深い心の一点において信じられ、それを消し去ることはできない。
 ただ、彼らが本当にいるのだとしても、人間のことをあまり知らず、人間にとっての死をほとんど理解できない彼らは、善意から、または善とも悪とも知れぬ、人間の理解を超えた動機から、やがて私を殺してしまわないだろうか。つまり、昔ながらの言い方をするなら、彼らは、魔ではないのかどうか。私には分からない。それでも何か雲行きのあやしさを感じたならばそのとき、それについて尋ねてみれば答えてくれるだろう、いかにも親切そうな彼らのことであるから。怖いときには怖いと言えば、おそらく、分かってくれるだろう。
 森のなかを曲がりくねりながら進む細い道が、木々の向こうに遠く人間たちの家々をかいま見せたとき、まさにそのとき、精霊たちの姿が消えた。それはもしかすると、私自身の心が精霊の世界から人間の世界へと、自分でも知らぬ間に大きく向きを変えたために、あたかも彼らが消えてしまったかのように感じたのだったかもしれない。姿は見えなくとも、なお彼らは私のそばにいて、親しげな、あたたかな気配だけが私のまわりに漂い、護るように包んでいた。それは、木々が次第にまばらになり、道もやや広く、もはや森ではなく、明るい林が静かな住宅地に接しているところにさしかかるまで続いた。