訪問記

 地元の医科大学の標本室に、特別に入室する許可を得た。通常、学外の者については、医療関係者のほかは入室を認められないのである。たまたま私の知人がその大学で教鞭を執っており、頼んでみたところ、案外すんなりと許可が下りた。標本と呼ばれてはいるものの、人間の遺体であり、安易に公開すべきものではないが、不真面目な意図をもって入室を希望しているのでなければ、無下に拒む理由も本来はないのである、と彼は言った。ただ手続き上の若干の面倒はなくもなかったようだが、標本室の管理責任者は他ならぬ彼であったので、ある程度は融通を利かせたようである。
 構内のおおかたの建物は比較的最近になって建て替えられたものだが、奥のはずれの片隅に、隠れるように、戦前のままの姿を保っている二階建の棟があった。上げ下げ窓に鎧戸、白いモルタル壁に青い屋根瓦など、いかにも昔の洋館である。その一階が標本室で、二階は書庫であるという。一階の窓はすべて鎧戸が閉ざされていて中は見えない。真鍮のハンドルのついた重い扉を押し開けて入ると、内部は当世風に改装されており、短い廊下の奥にカードキーで開閉する自動ドアがあって、その向こうが標本室なのであった。
 建物は改装されていても、自動ドアの内に並んでいた標本棚は、古風な木製のものばかりであった。いかにも頑丈そうな造りではあり、おそらくは戦前からずっと同じものを使い続けて、不都合もないのであろう。すべての窓が鎧戸に閉ざされている上に、さらに遮光カーテンで覆われ、外光は一切入らず、天井の照明もあたかも燭光のように薄暗い。ただし標本棚の内側のところどころに、後になって取り付けたものでないかと思うが、蛍光灯が点いており、標本を観察するには支障ない。密室ではあっても空気のよどんでいる感じがしないのは、収蔵物の保管のために最も適切な室温、湿度が保たれるよう、空調設備が稼働しているのだろう。
 全身の骨格標本が何体かあり、幼い子供のものもあった。ホルマリン漬けの胎児の標本が数十体、まだ人間の形をしていないものから、生まれるまぎわのものまで順々に並べられていた。さらにさまざまの奇形の胎児、また出生後ほどなく死亡した奇形の嬰児もホルマリン液に浸かっていた。それから成人の脳、眼球、肺、胃、心臓などの標本が並び、多くはホルマリン漬けであったが、なかには特殊な技術により、生前の色や質感を生々しく留めたまま、薬液中にではなく空気にさらされる状態で、つまり標本棚の上にただ置かれているという状態で保管されているものもあり、一見、きわめて精巧な模型のようであった。標本の多くは病理標本であった。標本として残されるからには、病気自体が稀なものであるか、または一般的な病気であっても症状が著しく進んだものがほとんどであり、素人の目にもあきらかに致死性と知れる、むごたらしい病変を示しているものが少なくなかった。
 標本室の管理者である私の知人は、この部屋を自分の研究室としても使っていて、最も奥まったところの片隅に机を据え、一日の大半をここで一人で過ごしているのだった。静かであり、室温も常にほどよく保たれ、仕事に集中できる環境であると、軽口めかして彼は言った。しかし私には、自然に心に浮かんでくる疑問を抑えることができない。怖くないのか、と尋ねてみた。すると彼は真面目な顔つきになり、
「怖いものですか。考えてもみてください、ここにおられるのは、医学のために身をもって貢献してくださっている方々ばかりなのですよ」
と言った。ああ確かに、と思った。怖がるなどとは失礼にあたるではないか。そう認識を新たにしてみると、私もまた、怖いとはあまり感じなくなった。むしろ、無言の善意がこの部屋に満ちていて、自分がそれに包まれている、という気さえしてきたのである。
 全身の血管の標本があり、赤い細かな網を固めて人間のかたちに作ったもののように見えたが、本物の血管に赤い樹脂を流して固め、取り出したものとのことであった。珊瑚のように鮮やかな赤であった。標本棚のその場所のそばに小卓があり、頭蓋骨が載っていた。血管標本の強烈な赤色に対し、こちらは灰黄色をおびた柔らかな白で、たしかに自然物であるという、安堵させる感じがあった。触っていいですよ、と気軽な調子で知人が言う。とまどって彼の顔を見ると、にこにことしているので、私も楽な気持ちになって、頭蓋骨の丸い頂に手を置いた。違和感なく手になじみ、不思議なことにはかすかな温もりを感じた。もっと冷たく、そっけなく生者を拒む手ざわりを想像していたので、意外であった。しかしまた、かつて私と同じく生きた人間であったのだから、当然のことであるようにも感じた。もちろん体温などというものはないのだが、印象として、生きている者との握手とさほど違いがないのだった。
 それは標本室のずっと奥のほうで、ほど近い一角に知人の仕事机があった。本立てに学術誌や書類がやや乱雑な様子で並び、電気スタンドが点いたままになっている。かたわらの壁には花の写真をあしらったカレンダーがかかっている。そのあたりだけがあきらかな生者の世界である。机の上にはまた試験管立てが、私の訪問のまぎわまで作業をしていたとおぼしい様子で置かれている。よく見ると、そこに立ててあるのは試験管とは少し違うもののようである。よく似ているのだが、開口しておらず、試験管の底と同様に上端も丸く閉じている。十本ほどある管のいずれにも、真紅の液体がいっぱいに充填されている。見たところ、ほんのわずかの空気も、小さな気泡のひとつさえも管の内になく、完全に液体で満たされている。いや、もしかすると液体ではない赤いものが詰まっているのかもしれないが、私はその赤色の感じから、血液ではないかと思ったのである。とはいえ凝固、分離している様子がまったくないので、どうかなとも思ったのだが、私が関心を抱いているのを見てとった知人が言うには、人間の死後まもなく採った血液であるという。凝固も変質も決してしないよう処理されており、それらの管のなかには既に数十年を経過したものもあるとのことだった。血液の標本ですね、と私が言うと、彼は、厳密には少し違う、と言った。笑みを含んで、
「記憶の標本なんです」
と言ったのが、あまりに突飛で、聞き違えたと思った。しかし彼は、
「記憶の標本です。僕の専門分野なんですよ」
と繰り返した。
 凝固や変質を防ぐというばかりでない、特殊な処理を施されたそれらの血液は、観察者の目と管との角度、管に当たる光の具合によって、さまざまの映像を内部に浮かび上がらすのだという。それが死者の生前の眼に映り、心にとらえられた光景の、正確な記録に他ならないというのだ。残念ながら現在の技術ではあまり多くの映像を再生することはできず、一本の管につき多くとも十あまりの場面、しかもほとんどは静止映像であるとのことであった。音声はついているのかと尋ねると、これまでのところは無音のものばかりだが、それがそういう性質のものであるのか、それとも技術の不足から再生できずにいるだけなのか、まだ分かっていないという答えであった。なお、映像は、故人の生涯史において特筆されるべき大きな出来事が優先的に浮かび上がってくるわけではなく、それどころか今のところは、本人もほとんど意識することがなかったであろう、ありふれた日常の景色ばかりが再生されているという。
「研究が進めば、犯罪の被害者の血液から、犯人の顔の映像を取り出すといったことも、できるようになるかもしれません」
と、彼はにこやかに言った。
 机の上の、電気スタンドのすぐ横に、同じほどの大きさのステンレス製らしいスタンドが置いてあり、先端に試験管ばさみが取りつけられ、はさんだ管の向き、電気スタンドの光に対する角度、高さをさまざまに変えられる仕掛けになっている。知人は試験管立てから一本の管を抜き取って、その試験管ばさみではさみ、私にも観察させてくれた。ただし、映像を浮かび上がらせるには多少の練習が必要だそうで、慣れれば何ということもないのだが、最初からできるとは限らないとのことであった。私は管を傾けたり、逆さにしたり、回転させたりしてみたが、なるほど、なかなか見えてこない。
 故人の私生活を覗き見ることになるという後ろめたさと、それを上回る好奇心、もしかすると研究者たちが見たこともない、驚くべき光景が私には見えるのではないかという期待に心逸らせながら、しばらく操作を続けているうち、ふいに、赤い液体から析出されるように、淡く白い影が管の中ほどに浮かんだ。目をこらしてみると、それはまさしく日常のありふれた景色であった。白から赤、暗い赤までの明暗と濃淡のみからなる単色の映像で、音声はない。どこの街であろうか、特定できるものは見当たらない、さしたる個性もないビルが並んでいる。比較的低いビルが多いので、都会というほどの街ではない、あるいはやや古い時代の映像であろうか。ビルの向こうの空に夕日が見える。いや朝日なのかもしれないが、それを夕日だと思ったのは、一日の始まる高揚感よりも、夜へ向かって降りてゆこうとする穏やかさ、静かさを感じたからである。一センチ角ほどの小さな映像ながら、目を凝らすほどに、ビルの窓のひとつひとつ、夕日のまわりに細くたなびく絹雲の様子までも見てとることができた。じつに平和な、そして何ということもない景色であり、なるほど確かに、当人もはっきりと意識しないまま通り過ぎていった風景であろう。とはいえ、意識されぬままに、その人の一日の疲れを癒し、安らぎを与えていた風景であったのかもしれない。あるいは、安らぎよりも、そこはかとない哀しみを与え、その人は自分でも気付かぬ間に、小さなため息をもらしでもしたかもしれない。私は、見も知らぬその人に親しみをおぼえ、いつ、どこの景色とも知れない景色に懐かしさを感じはじめた。そしてまたその人をも懐かしく思いはじめたのである。もとより自分と直接の関係のある者に対する懐かしみとは異なる。かつて私と同じようにこの世に生き、私と同じように日々を暮らし、やがて誰もがそうであるように去っていった人への、共感と哀惜といったものである。血液の中に私が探し当てることができたのは、結局その映像ひとつだったが、充分に満足であった。ありふれた日々、思い出すほどもない思い出とは、貴いものだと思ったことである。