老残

 美しかろう、林立する石柱、巨大な石壁、そこに彫られた無数の神々の姿は。旅人よ、お前が今の今まで驚きの目をみはり、息をのんで見ていたものは、古代の神々の形見なのだ。今は私の姿に驚いているようだが、この荒野のただなかに見捨てられ、忘れ去られた廃墟に、よもや誰かがいるなどとは思っていなかったのだろう。それにまた、これほど醜く老い果てた女の姿も見たことがない。それはそうだろう。私はこの廃墟よりもなお古くから生きているのだからね。
 想像の翼をあたうかぎり広げるがよい。これらの神々は、昔、石でできてなぞいなかった。柔らかな肉と熱い血からできていた。しなやかな肢体、喜びにきらめく瞳、明るい笑い声と歌声とをもって、ここに生きていた。生きていたのだよ。浮彫のところどころに見える草花の飾り文様、それらも当時は本当の草花で、朝露に濡れ、愛らしい花をいたるところに咲かせ、神々を喜ばせていたものだった。軽やかな足どりで神々は踊り、その足どりはときに宙を舞うようで、また、そのまま鳥のように空を翔けることもあった。すべての動きが喜びに満ち、決して、重い足をひきずって地べたを歩くなどということはなかった。彼らはまったく、石とは正反対の者たちであった。彼らは風だった、光だった、夜明けの光とともに朝風に乗って広がる花の香りのようなものだった。私は神々に仕える婢女であった。私は飛べなかった。私の足は重く、彼らのように踊れはしなかった。それでも幸福だった。神々の姿をこの目に見ることができるというだけで幸せだった。まことに私は、あれほどの美しい光景を見たことがないのだ。神々とは、生命であった。生命が光のなかで舞っていたのだ。
 ここで恐ろしい思い出を話さねばならぬ。永遠に続くかに思われた浄福の日々を終わらせたものを。あるとき、重い足をひきずって地べたを歩く者たちの一団がやってきた。彼らの顔は暗く、しかしまなざしは不穏な欲望のために輝いていた。私はそうした者たちを見たことがなく、いたく怖れたが、それが人間というものであった。何もお前のことを責めるのではないよ。孤独な旅人よ。孤独であるがゆえにお前は彼らよりもずいぶんつつましやかにみえる。さて彼らは咲き乱れる花々のなかで舞い踊る神々の姿を見た。それが神々であるということは一目で分かったのに違いない。美しいものを目にしたときの驚きの表情というにとどまらぬ、自分たちよりも優れた存在を目にしたという畏怖の色が、彼らのまなざしに確かにあったからだ。しかしその澄んだ色はたちまちに暗く濁った。その暗さに私は尋常ならざる警戒心の影を見てとった。しかし何ゆえの警戒心であろう。あの神々ほどに優しい方々など決して他にいはしなかったというのに。おそらく、自分たちよりも優れた存在によって自尊心が傷つけられることへの警戒心であった。彼らの瞳に私は燃え上がるような妬みの色を見た。神々とは、生命であった。すなわち彼らの嫉視は、生命の自由な舞踏と飛翔とに向けられていた。恐ろしいまなざしであった。それこそは邪眼であった。熱い血もたちまちに凍らせる呪詛の目であった。神々の心は常に明るく澄んでいた。明るく澄んだ世界が彼らの住処であった。その住処にあまりに唐突に侵入した闇の力に、彼ら高貴の者たちは耐え得なかった。邪眼に睨まれ、神々は石になってしまった。人間のまなざしを怖れたというのではなく、怖れを感じるよりも早くに、生命の深いところを魔の視線に射抜かれてしまったのではなかったか。というのも、石になった神々の面影に怖れの気配がないからだ。優しい笑顔のままに石になっておられる。生きておられた頃に比べれば硬い表情ではあるが、それでも今なお美しい。
 しかし神々ともあろうものがそうたやすく人間の力に敗れてしまうものだろうか、と訝しく思うかもしれぬ。だが、まことに、たやすく敗れてしまうものなのだよ。人間はいつも強いか弱いかばかりで判断してしまうが、聖なるものはごく繊細で精妙なもので、あたかも山奥にひっそりと咲く可憐な花のように、愚か者たちの粗野な手で容易に根絶やしにされてしまうのだ。私が石にならなかったのは、私が神々よりもはるかに人間に近いものであったからだ。お前とそう変わりはせぬ。小指の先さえも石になりはしなかったが、むしろ石になったほうが幸福であったのかもしれない。
 花咲く野原を吹きわたる風に舞い踊っていた彼らは、花々も風ももろともに巨大な石壁の浮彫になってしまった。木々の間を飛び交い、枝に腰かけて休んでいた彼らは、石柱になってしまった木々とともにやはり浮彫と化した。人間たちはそれを喜び、さらに彼ら好みに飾り立て、屋根を置き、塀をめぐらし、壮麗な神殿に仕立てあげた。かくて神々は人間たちの心にかなうものとなったのである。石の神々を彼らはしきりに拝みはじめた。拝むからには神々は石でなければならないのである。生きて踊り戯れる神々など威厳がないではないか。重々しく不動のものであってこそ礼拝するに足る。生命を失ったものを彼らは崇拝した。死を崇拝したのだ。敬虔らしく神々の像を仰ぎ見る、その目こそは神々を殺したのである。
 人々は神殿にて豊作を祈り、戦勝を願い、野を焼き、木々を伐り、海を埋め、街を作り、街は富み栄え、栄えに栄えた。石と化したとはいえ、ただの石ではない以上、それなりの御利益もあったのかもしれないが、おそらくそうではなく、人間たちの傲慢さを正当化するための権威として使われただけであったのだろうと思う。私は彼らと関わることなく、神殿の中で、浮彫に神々のかつての面影をしのびつつ、息をひそめて隠れ暮らしていた。私はたしかに人間のようなものではあるが、しかし人間と交わり共に暮らすほどには、人間になりきれない。そのようにしてどれほどの年月を過ごしたことだろう。ついに彼らは、焼けるかぎりの野を焼き尽くし、伐れるかぎりの木を伐り尽くしてしまった。もはや羊に食わせる草もなく、自分たちのかまどにくべる薪にも事欠く有様となった。すると彼らは、何たることか、平然としてこの地を見捨てたのだ。神々に一言の詫びもなく、いささかの償いもなく。あたかも野犬どもが獲物をむさぼり食った後、骨ばかりを見苦しく散らかして去っていくように。山々の肌はむき出しになり、平地は石くれと砂ばかりの荒れ野となり、もはや新たな生命を育む力もなく、あれからさらに長い時間が流れたが、ついに美しい緑は戻ってこぬ。
 神殿の塀は崩れ、屋根は落ち、飾り物は風に散ったが、はじめからあった石壁と石柱とはそのままに残った。それがお前が見ているこの景色だ。こうなってからもう随分になる。お前の父母を十代さかのぼった昔にもなおこの景色はこのようであった。死を崇める者たちの手がけたものは、もとよりすみやかに滅びてゆくが、かつて生命であったものは容易に滅びぬとみえる。とはいえ生命はすでに失われて久しいのであるから、滅びをまぬがれるわけにはいかない。石壁も石柱もわずかずつ崩れはじめている。浮彫もかつてほどの鮮明さは今はない。足もとのいたるところに、それ、お前の足もとにも、こまかな白い砂が積もっているだろう。石壁や石柱が風化した砂だ。こうして手にすくえば、骨と皮ばかりに老い衰えた私の指の間から、さらさらとこぼれ落ちてゆく。この砂は、かつて神々だったのだよ。光のなかで舞い踊る生命だったのだよ。
 私はどれほどの年月をここで暮らしてきたのだろう。まだ生きてはいるが、かたちばかりのことである。死んではいなというだけだ。私の存在に意味はなく、生活に目的はなく、心はうつろで、にもかかわらず愚かにも死を怖れている。いや、そうであるからこそ怖れているのかもしれない。真に満たされた者は快く手放すものであるのかもしれない。いずれにせよ、好むと好まざるとにかかわらず、死は必ず訪れるものではあろう。だが実のところ、一向にその気配がない。今の私のただひとつの希望は、死こそはまことの生命への入口であるという、古い言い伝えだ。この世界で死んだかに見えるものも、かなたの世界で永遠の生命を享けているという。そこは光と花々の香りに満ちている――。それを思えば死を待ち望む気持ちも起こらないではない。だが、その時が近付いてくる気配がいささかもないところをみると、人間たち、あの恐ろしい邪眼の一団が、生命を根絶やしにするまなざしをもって、死の恩寵をさえ殺してしまったのではあるまいかと思えてくるのだ。