緑影

 森のなかの小川のほとりに白い花が咲いていた。黒く濡れた石の間から、すらりとした茎をのばし、縁に細かな切れ込みのある葉を幾枚も大きく広げ、小さな四枚の花弁からなる花を、茎の頂に、花冠のように群がり咲かせていた。なずなに少し似ていたが、ひとつひとつの花が、小さいとはいってもそれよりは大きく、かなり離れたところからも四枚の花弁を見分けられるほどで、草の全体のかたちもゆったりとして優美であった。しかし特に目立つ花でもなく、その白さは冴々としたものではなく、かすかに緑がかって、森の緑に柔らかく溶け込んでいた。つつましく安らかに、この美しい川べりで静かに夢見ていることのほか何ひとつ求めない、すでに満たされている者のおだやかな微笑みのように、その花は咲いていた。私はその幸福なたたずまいに惹かれたのである。そして、花が微笑んでいると感じたのは、草木と人間とをそう異なったものではなく、仲間、もしかすると相互に転生可能なものであるかのように感じる私の夢想癖のせいであった。その夢想癖は、さらには他愛もない、いつも変わりばえのしない感傷的な物語を、私自身に向かってささやきはじめるのであった。すなわち、そうした花はかつて人間の世界にあって不幸せな少女だったのである、と。たとえば療養のために人里離れたこの森の別荘で暮らすうち、寂しさに耐えかねてあてどなく森のなかをさまよい、あるいはその病がそもそも錯乱を伴うものであったかして、木立ちの奥の闇にのまれ、ついに人間の世界に帰ることがなかった。小川の上流に、私は行ったことがないが、深い湖があり、高い崖にかこまれているという。そうした崖から足をすべらせたとしたならどうだろう。そうでなくとも、森の奥で道を失うというだけでも、病弱の少女であれば数日をまたず命を失うに違いない。病が彼女の体よりもむしろ心を苦しめていたのであれば、死へと引き寄せられた可能性もあろう。それを望むならば、そのための場所は湖畔の崖にとどまらず、森のなかにいくらもある。いずれにせよ人の世を去る彼女の足取りは、おそらくは必ずしも重いものではなかった。むしろ軽やかでさえあったかもしれない。もとより喜びのために軽やかであったなどとは思わないが、喜びでも悲しみでもなく、苦しみは強くともあまり自覚的ではなく、日々の散策とそう違わない足取りであったような気がする。錯乱していたとしても静かで穏やかな錯乱であった。というのも、そもそも彼女ははじめから、半分しか人間ではなかったのである。人の世で、人の姿をして、人として考え感じるには、彼女はあまりに軽やかで透明な素材でできていた。それこそが彼女の不幸の本質であった。人間として生きるには、もっと鈍重で不透明なものからできていなくてはならないのだ。生から死、そして花としての生への移行は、ほとんど驚きもなく、まったく自然なものとして起こっただろう。ことによると気付きさえしなかったのではないか。ただ、それまでの苦しみが終わったということ、解放されたということを、はっきりと意識はせず、しかし彼女を包み込んだ幸福の感覚、晴れやかな気分によって、ぼんやりと知ることはできたかもしれない。数限りない草木の葉が森を満たしているのと同じぐらいに、目には見えないけれども森に満ちあふれている、心優しい草木の霊たちに迎え入れられ、護られて。
 絵空事である。だが私には、それが実際ありそうなことに思われてならない。甘い感傷である。だが、人の世を一歩出れば、その感傷的な夢こそが真実である世界が存在するという気がしてならない。気がする、というばかりである。信じてはいない。しかし夢想は際限もなく、執拗なまでに心に浮かび、目の前に思い描かれる。――木の間越しの日がやや傾きはじめていた。そろそろ森を出て町へ帰らねばならない。


 「ああ、可哀想に!」
 突然に響いた少女の声に、私は驚いて、町へ向かおうとしていた足を止めた。見渡すかぎりの緑の海に、私のほか誰ひとりいはしないのである。しかし私はすぐにその声の主が何者であるかを理解した。不思議なことだが、目がとらえたのではなく心がじかにとらえたのである。白い花の声であった。白い花が私のために嘆いたのだ。だが、私の何を嘆いたのか分からない。私はといえば彼女のことをこそ気の毒に思っていたのだ。――花のあたりに優しくやわらかな気配があり、目には見えないが心にじかに、美しい少女の姿が浮かびあがる。花のように穏やかな白さの、清楚な、飾り気のないワンピースを着ている。十三、四歳らしい、あどけない顔に驚きの色を浮かべて、両手で口もとをおさえている。まさか私に声が届くなどとは思っていなかったらしい。私がまさか花から声をかけられるとは思っていなかったのと同様に。
 少女のそばにまた別のものの気配があり、それは何か老いたもので、それだけ落ちつきと賢さを備えていた。
「そんな大きな声を出すからですよ」
と小声で少女をたしなめる声は老女の声で、明るい灰色の着物に苔色の帯をしめ、白髪を丸髷に結っている姿が、私の心に映じた。そして私のほうへ会釈を送ってきているのであったが、少女ほどではないにせよいくらかの当惑の気配はあった。とはいえ警戒しているというのではなさそうで、ただ、年経たものの記憶のうちにもあまり例がないらしい、風変わりな客を向かえる顔色ではあった。
 そのとき気付いたのは、彼女らのまわりにさらに多くのものの気配があり、そればかりか視野に入るかぎりのいたるところに、とはいえ目に見えはしないのだが、じつにさまざまのものがいて、こちらをうかがっているということだった。心に結ばれる像はいずれも和服姿、それも当世の人間が昔ふうの格好をしているのとはどこか違って、本当に誰もがその格好をして暮らしていた時代のままに、今なお暮らしているといったふうな、しっくりと身になじんだ感じがあった。彼らのうちにはたして白い花の少女のように、もとは人間であった者がどれくらいいるのか、私に分かることではないが、多くははじめから森に住まう草木の霊たちなのではないか。少なくともワンピースのような新しい時代の衣装をまとうことで、最近になって彼らの仲間に加わったことをほのめかしている者は、少女のほかになかった。子供や若者の姿をしている者たちもあったが、みな古風ないでたちだったのである。こちらへとそそがれている彼らのまなざしには、風変わりな客への戸惑いもあれば、あきらかな好奇心もあったが、やはり警戒している様子ではなく、おおむね優しげで、彼らの身なりの示す古い時代の平和な山里に住んでいた素朴な村人を思わせ、しかもかなりの者に私のことを心配するような、気の毒がるような表情があったが、なぜなのかは分からなかった。
 真っ白な髪を総髪にして、やはり真っ白の髭を長くのばしている、檜皮色の和服を着た老人が、小川沿いの細道の、森の奥のほうから静かに歩いてきた。その姿は威厳があるとともに、いでたちが示しているよりもさらに遠い昔からの存在なのではないかという気がした。というのも、ほんの一瞬ながらも、その衣装が檜皮色の狩衣と黒い烏帽子に見え、さらには髪と同じほど白い衣をまとって勾玉を首に飾っている、古代の人の装束にさえ見えたのである。――他の者たちにしても、じつは近世よりもさかのぼる存在なのではないかという感じがするのだった。彼らの着物は、彼らがこの森に現れた時代を正確に反映しているとは限らず、単に、私から見てはるかな過去からここにいるのだということを、象徴しているにすぎないのではないか。私には、自分が彼らの本来の姿をありのままに見ているという気がしないのだった。心に映し出された像は、ちょうど夢の映像と同じで、私に何かを伝えるための比喩のようなものにすぎない。彼らには本来、人間にとらえうる形姿などないのではないか。――ともあれその翁は、ここに暮らすあまたの霊たちの中でも、おそらくは長老なのであろう。
 翁はにっこりと笑って、
「客人よ、さぞ驚かれたことであろう。私どものこの娘はまだ幼くて、何をしてよいやらならぬやら、弁えがつかぬのだ。枝の小鳥もあわてて飛び立つほどの大声を上げるなどとは、じつに無作法、まことに申し訳ないことであった。いや、幼さゆえのこと、大目に見てやってはくださらぬか」
そのかたわらで少女が恥ずかしそうに頭を下げた。私はむしろ恐縮して、たしかに驚きはしたけれども謝っていただくには及ばない、単に思いがけなかったというばかりで、少しも不愉快ではなかったのだから、と答えた。
「おお、そう言っていただけると、まことにありがたい」
老人は丁寧に頭を下げ、少女ははにかみがちに微笑した。それから老人は少し気がかりらしい顔をして、
「じつは、客人よ、この幼い娘はたしかに無作法ではあったが、とはいうものの私どものような者の声を、たとえ大声であっても、聞き取る者はそなたたち人間のうちにそうそうおらぬのだ。まして、かくのごとく私どものひとりひとりを認め、言葉を交わすなどという者は」
一旦言葉を切って、私をじっと見つめた。優しい目であったが、また真夜中の湖のように底知れぬ目でもあった。私は少し怖くなった。
「そなたは、人間として暮らしておられるが、まことは人間たちよりも、おそらく私どもに近い」
私は驚き、しかし不思議に腑に落ちる感じがあって、そのために心の深いところではむしろ安堵感をおぼえもした。少女がいたわるように私を見た。翁は依然として気がかりそうな顔をしていた。
「そなたの、人間と精霊のあいだの目で、私どもの姿がどう見えているのかは知らぬ。だが、おそらくは人間としてのそなたにとり分かりやすい、人間らしい姿で見えているのであろう。私どもに、私ども自身がどう見えているのかを、人間にとり分かりやすく言いあらわすことはとても難しい。無理をしてまで言いあらわす必要もあるまい。ただ、私どもにそなたがどう見えているかは、お話ししておいたほうがよかろうと思う。私どもは森の霊であるから、その目には人間というものもいくぶん、森のものに近いかたちで見えている。そこで、あまり驚かずに聞いてほしいのだが、そなたの姿は病葉のように見える。ところどころが黒ずみ、それが不吉な黒さで、さらには朽ちたように穴が開いてしまっているところさえある。一目見て、心配になるお姿をしておられる」
あたかも自覚症状のない重病を医者から告げられたようなものである。少女をはじめとする森の霊たちがみな老人と同じものを見ていると、彼らの表情から知れる。
「すべての草木には育つにふさわしい場所がある。ふさわしからぬ場所に芽吹いたものは、病み、枯れてゆく。そなたにとり人間の世界は苦しかろう。まことは、私どもと共にあるべき御方である」
そんなことがあるものかと思ったが、心当たりがないでもない。幼い頃、記憶にある限りの幼い日々から、私は、人間の世界で生きることに何がしかの違和感を抱いてはいなかったか。今にいたるまで、多かれ少なかれ苦痛をおぼえずに過ごすことのできた日々がどれほどあっただろうか。それも、他の人々がまったく顔色を変えずに、あるいはむしろ微笑しながら通過していく、あまたの事どもについて。やがては慣れることもあろうかと思いながら、年月をむなしく過ごし、なお慣れることができない。せめて私にとり生とはそのようなものであると自分を納得させる努力をしてきたものだが、その努力を私自身がどう評価しようとも、見る者が見れば、生の日数の分だけ確実に病み、枯れてゆきつつあることを、あきらかに見てとれるのかもしれない。
「私がこの森でみなさんと共に暮らす手だてはありますか?」
そう尋ねてみたが、自分でもなかばうわごとのように感じられ、この問いに対して可能な答はおそらくひとつしかあるまいと、すでに分かっていたのである。そして翁は躊躇しながら、やはり言った。
「それを望むならば、そのための場所は森のなかにいくらでもある。小川の上流に深い湖があり、高い崖にかこまれている……」
崖へ向かう私の足取りは白い花の少女のように軽やかであろうか。私の足は鉛のように重く、鉄の柱のように土中に深く打ち込まれ、地の底にまでめり込もうかというばかりにこの世に執着し、少女に顔向けのできないほどのあさましさであった。この世でまだやらねばならぬ仕事があると、私の心は言った。この世に置き去るわけにいかない人々がいると訴えた。それはそうなのだが、どこか、言い訳じみている。いや、言い訳ではないかもしれないのだが……、私は、私自身にとり不透明であり、暗く模糊たるものである。要は、死ぬのが怖いだけではないのか。目の前にいるこの霊たちは、幻覚にすぎないのである、と私の凡庸で退屈な分別心がもったいらしく言い立てる。幻覚であろうものの、真実かもしれないという微々たる可能性に賭けるほどに強い翼を私の魂は持たないというばかりである。私が生きるのは弱さゆえである。いや、どうだろう……。
 心のなかでしどろもどろの自問自答を繰り返しながら、黙ったままでいる私の様子に、翁もまた黙ってまなざしを注いでいたが、やがて静かに二、三度うなずき、
「人間として存在するとは、そういうものである。……私ども森の霊にはほんとうに分かってさしあげることなどできはせぬが、おおよその察しはつく」
そのまなざしはごく優しく、さらに私に微笑みかけて、
「私どもと共に暮らすことはできずとも、なるべく、そなたの人間としての暮らしの合間に、森においでなさい。できるだけ足繁く、少しでも暇ができればそれを逃さず、私どもに会いにきなさい。そうするうちに、わずかずつであれ癒されてゆくであろう、少なくとも、苦しみをいささかなりとやわらげることはできるであろう」
諭すようにそう言った。だが、それでは私のこれまでの生活と、行動の上では何も変わりはしないのである。それでも、あたたかく迎えてくれる者があると信じられるなら、大きな違いではないか。信じられるだろうか。幻覚であるとする分別心の大きな声、騒々しいシンバルのごとき声にもかかわらず、私自身にも意外なことであったが、闇のなかの小さな灯のように、信じる心がたしかにあるのだった。それは疑いの嵐に対してあまりに頼りなく弱々しいものではあったが、それでもなお、消えてしまう気配はなかった。
 少女がこちらを見ていた。あの軽やかにして透明なものが、私にいかなるまなざしを向けていることかと、恐ろしい気がしたが、それは思い過ごしであった。私の問題が彼女とは違うかたちで、それなりに落ちつきつつあることを、その澄んだ目はただ安堵の思いを浮かべつつ見守っているのみであった。誰もが同じ道すじをたどって唯一の終着点に行きつく必要もないではないか。そのことでみずからを恥じたり責めたりなどするのは、おそらくはまさに鈍重にして不透明な者のみなのであろう。彼女の心はそのような濁った感情を知らない。
 私を見ている精霊たちのうちには、なお心配そうな顔をしている者もあった。小川の向こう岸からこちらへと、水の上に張り出している木の枝があり、あまり太い枝でもないのだが、若い男の姿の霊がそこに腰かけていた。人間ではないのだから、枝が少しもたわまないのは当然なのだが、とはいえ不思議に見える。白地に黒い細かな絣模様をびっしり散らした着物を、尻端折り、髪はほとんど逆立っているような蓬髪のその若者を、私は、やませみの精霊ではないかと思った。ぶっきらぼうだが優しさのある声で彼は言った。
「でもよ、気の毒じゃねえか、せめてちょっとした手みやげだけでも、そうだ、薬草だよ薬草、人間に効くやつさ、森ん中にはいくらだってあるはずだ……俺は、そこいらの小鳥連中に効くやつなら、ちと心得があるんだが、人間のは……誰か、知らねえか」
きょろきょろと見回して、
「あ、あれが効くのじゃなかったか。違ったかなあ」
私がいるほうの岸の木立ちの奥のほうに、枝越しの日の光にやや明るい斜面が見え、うるしに似た葉を茂らせている木があって、ビー玉ほどの丸い赤い実をたわわにつけている。葉は美しく、実は甘そうで、いかにも魅惑的なのだが、たしか、毒があるのでなかったか。うろ覚えの知識だが、もしかすると、致死性の毒でなかったろうか。小鳥たちならば、少なくともある種の小鳥は、平気で食べると聞いたことがあり、彼らには美味なばかりでなく薬にもなるのかもしれない。それでも、人間自身の目に見える人間の体にではなく、霊たちの目に映る人間の体に作用させればよいのだから、例えば、おとぎ話の魔法の薬の作り方のように、あのつややかな葉にたまった朝露を集めて、それを私のための霊薬として使うことはできないものか。いや、それでもなお充分に薄まらない猛毒かもしれない。やはり怖い。
 若者も自信がないようで、しきりに首を傾げている。その様子が、小鳥が首を傾げるのに似ていて、やはり、やませみなのだと思う。ほかの者たちにも心当たりの薬草がないようで、一度だけ、木々の奥のどこかから「山ぶどうが効くかもしれないね、でも、あれは秋だからねえ」という声がしたが、それきり皆黙って思案顔である。若者も考え込んでいる。はたして彼は、記憶にあるかぎりの本草学の知識のなかから、私の状態に合った処方を探ってくれているのか、それとも、そもそも私の状態それ自体がよく理解できずに悩んでいるのだろうか。さきほど老人が、ほんとうに分かってさしあげることはできない、と言った。長老とおぼしき翁でさえそうなのである。もしかすると、人間として癒されることと、霊として癒されることとの区別が、やませみの兄さんには、はっきりとはつかないのでないか。霊としてなら、あるいは死が癒しとなることも、あるのかもしれないのである。少女がそうであったように。だからこそ、迷いながらも、私に毒の実を勧めてみたりなどしたのではないか。彼らには、死などはガラス戸かカーテンほどのものであろう。鳥や獣であれば、死を怖れるとはいっても、その時が来れば人間よりは慌てふためくことなく死んでゆくのであろうし、まして草木などは従順そのものである。彼らには、人間にとっての死がいかなるものであるのか分からない。彼らは人間を知らないのである。とはいえ人間が彼らを知らないことに比べれば、何と多くを知っていることか。人間たるや彼らの存在を知らないばかりか、存在を否定する。
 誰かがまたいずれかの草木をさし示したならば、それはやはり死の薬であるかもしれない。善意からには違いないその提案に、私はどう対処したらよいのだろうかと不安になったが、ついに誰からも新たな意見はなく、若者は残念そうに首を横に振った。木々の間にさす日の光はさらに傾き、やや夕刻の赤みを帯びはじめていた。私は、もう帰らなければならないと言った。彼らのうちにはまだ気がかりらしい表情を浮かべている者もあったが、多くはむしろ私が町へ帰りつく前に暗くなってしまうことを案じた。翁から、道の途中まで送ろうという申し出があった。
「私どもは森の者であるから、森から出るわけには行かぬ。そなたのように精霊の姿が見える者が人里に他にそうそうおるとは思わぬ。ただ、人里に踏み込むことを私ども自身が好かない」
私の横を翁が歩き、後ろから丸髷の媼と白い花の少女が手をつないで続き、枝づたいにこちら側の岸に来た蓬髪の若者が、地面には降りずに枝々を危なげなく、飛ぶような軽やかさで渡りながらついてくる。まだ言葉を交わしたことのない精霊たちのなかにも、一緒に来る者たちがいる。ごく気安くなごやかな空気があり、まるで親戚で集まって故郷の道を散策しているようだなと思う。とはいえ、ありありと彼らの姿が見えはするものの、あくまでも心に映るというばかりであるから、これは狂気ではないかという疑いを捨て去ることは、ついにできない。小川のほとりの白い花に薄明の少女を夢見た、そのときまでは夢想と現実との境界を弁えていたのに、狂気がその境界を突き崩してしまった、この光景は病的な幻想である。一方、夢想は世の人々が思っているほどには現実と異なるものではなく、世の人々に知られぬ現実、もうひとつの現実の扉を開ける鍵であって、花を見ながら夢見たことが、いつの間にか、それが鍵でありうることさえ知らぬ間に、不思議の扉を開けていたのではないか。そういうこともときには起こるものなのではないか、という気もするのだった。それこそが狂気の感覚であるとも考え、その考えは私の心のおおかたを占めたが、そうではない、という考えは、より深い、もしかすると最も深い心の一点において信じられ、それを消し去ることはできない。
 ただ、彼らが本当にいるのだとしても、人間のことをあまり知らず、人間にとっての死をほとんど理解できない彼らは、善意から、または善とも悪とも知れぬ、人間の理解を超えた動機から、やがて私を殺してしまわないだろうか。つまり、昔ながらの言い方をするなら、彼らは、魔ではないのかどうか。私には分からない。それでも何か雲行きのあやしさを感じたならばそのとき、それについて尋ねてみれば答えてくれるだろう、いかにも親切そうな彼らのことであるから。怖いときには怖いと言えば、おそらく、分かってくれるだろう。
 森のなかを曲がりくねりながら進む細い道が、木々の向こうに遠く人間たちの家々をかいま見せたとき、まさにそのとき、精霊たちの姿が消えた。それはもしかすると、私自身の心が精霊の世界から人間の世界へと、自分でも知らぬ間に大きく向きを変えたために、あたかも彼らが消えてしまったかのように感じたのだったかもしれない。姿は見えなくとも、なお彼らは私のそばにいて、親しげな、あたたかな気配だけが私のまわりに漂い、護るように包んでいた。それは、木々が次第にまばらになり、道もやや広く、もはや森ではなく、明るい林が静かな住宅地に接しているところにさしかかるまで続いた。

夕鐘

 世界の果ての岩山の頂に、石造りの巨大な塔がある。やはり石造りの、ただの四角い箱でしかないような、まったく装飾のない三階建ての建物を台座として、その数倍の高さの、これも何の飾り気もない、単に細長く引きのばされた円錐形というばかりの塔が載っている。壁面は丹色に塗られている。長い年月の間に褪色、剥落した部分もあるが、全体としてはなお鮮やかさを保っている。そもそもが夕日の色に似ている丹色の上に、さらに夕日の光がさして、むしろ塗りたてを思わせる強烈な色あいである。
 塔にも、台座にあたる建物にも、ところどころに窓があるが、ただ四角くくり抜かれたというだけの、雨風を防ぐものの何もない、単なる穴である。窓の内は暗くてよく見えない。
 はるかな高み、塔の頂を見上げると、陽光を浴びて鋭く光るものが突端にあり、それがこの建物の唯一の装飾かと思われるが、十字架らしく見えるものの、あまり遠すぎてはっきりしない。わずかの雲もなく晴れた空は、西日の赤みをいくらかおび、微量の血を混じたような青色をしている。
 視線を下ろして再び三階建ての建物を見ると、窓のひとつから何かが垂れ下がっている。人間の形をしている。その背には白い翼がついている。天使か。しかし、前屈させた体の上半分だけを、頭を下にし、両手をだらりとぶら下げた形で建物の外にさらしているそれは、あきらかに死体である。それも、翼の部分にこそかろうじて白い羽根を残してはいるものの、そのほかの部分は黒ずみ、どうやら腐敗が始まっているようだ。そのあたりの壁の丹色に、腐汁の滴りらしき汚れも見える。窓の奥の暗がりに何かが積んであるのがぼんやりと見え、それら自体が黒っぽいので、暗がりのなかでは非常に分かりにくいのだが、ところどころに混じっている白いものが、闇のなかにおぼろに浮かび上がっている。その白さは死体の背の翼の白さによく似ており、してみるとそれらはすべて死体なのではないか。
 目の届くかぎりの窓の内をよくよく見ると、いずれの窓の内もそうであり、目の届かぬところの窓も、死体の山を蔵していてもおかしくはない、不吉な暗さである。あたりには聖堂で焚かれるような、かぐわしくはあるが甘やかさはない、厳粛な香りが漂っている。もしかすると天使の屍臭がそういうものであるのかもしれない。そこに雷のごとき巨大な声がとどろきわたる。何者の声とも知れぬ声、ただ恐ろしく傲慢かつ冷酷らしい声が、天に響き、地を揺るがせる。
「聖である。聖である。聖である」
蒼穹も砕けよとばかりに鐘が鳴る。塔の頂から発せられたその鐘の音は、世の人々の耳には届かない。世界の果ての、高みの高みからの響きは、しかし、世界の深みの深みへと降りてゆく。最も深いところから、人々の心の深みに忍び入り、誰にも気付かれぬ間に、あまたの人々を支配する。

老残

 美しかろう、林立する石柱、巨大な石壁、そこに彫られた無数の神々の姿は。旅人よ、お前が今の今まで驚きの目をみはり、息をのんで見ていたものは、古代の神々の形見なのだ。今は私の姿に驚いているようだが、この荒野のただなかに見捨てられ、忘れ去られた廃墟に、よもや誰かがいるなどとは思っていなかったのだろう。それにまた、これほど醜く老い果てた女の姿も見たことがない。それはそうだろう。私はこの廃墟よりもなお古くから生きているのだからね。
 想像の翼をあたうかぎり広げるがよい。これらの神々は、昔、石でできてなぞいなかった。柔らかな肉と熱い血からできていた。しなやかな肢体、喜びにきらめく瞳、明るい笑い声と歌声とをもって、ここに生きていた。生きていたのだよ。浮彫のところどころに見える草花の飾り文様、それらも当時は本当の草花で、朝露に濡れ、愛らしい花をいたるところに咲かせ、神々を喜ばせていたものだった。軽やかな足どりで神々は踊り、その足どりはときに宙を舞うようで、また、そのまま鳥のように空を翔けることもあった。すべての動きが喜びに満ち、決して、重い足をひきずって地べたを歩くなどということはなかった。彼らはまったく、石とは正反対の者たちであった。彼らは風だった、光だった、夜明けの光とともに朝風に乗って広がる花の香りのようなものだった。私は神々に仕える婢女であった。私は飛べなかった。私の足は重く、彼らのように踊れはしなかった。それでも幸福だった。神々の姿をこの目に見ることができるというだけで幸せだった。まことに私は、あれほどの美しい光景を見たことがないのだ。神々とは、生命であった。生命が光のなかで舞っていたのだ。
 ここで恐ろしい思い出を話さねばならぬ。永遠に続くかに思われた浄福の日々を終わらせたものを。あるとき、重い足をひきずって地べたを歩く者たちの一団がやってきた。彼らの顔は暗く、しかしまなざしは不穏な欲望のために輝いていた。私はそうした者たちを見たことがなく、いたく怖れたが、それが人間というものであった。何もお前のことを責めるのではないよ。孤独な旅人よ。孤独であるがゆえにお前は彼らよりもずいぶんつつましやかにみえる。さて彼らは咲き乱れる花々のなかで舞い踊る神々の姿を見た。それが神々であるということは一目で分かったのに違いない。美しいものを目にしたときの驚きの表情というにとどまらぬ、自分たちよりも優れた存在を目にしたという畏怖の色が、彼らのまなざしに確かにあったからだ。しかしその澄んだ色はたちまちに暗く濁った。その暗さに私は尋常ならざる警戒心の影を見てとった。しかし何ゆえの警戒心であろう。あの神々ほどに優しい方々など決して他にいはしなかったというのに。おそらく、自分たちよりも優れた存在によって自尊心が傷つけられることへの警戒心であった。彼らの瞳に私は燃え上がるような妬みの色を見た。神々とは、生命であった。すなわち彼らの嫉視は、生命の自由な舞踏と飛翔とに向けられていた。恐ろしいまなざしであった。それこそは邪眼であった。熱い血もたちまちに凍らせる呪詛の目であった。神々の心は常に明るく澄んでいた。明るく澄んだ世界が彼らの住処であった。その住処にあまりに唐突に侵入した闇の力に、彼ら高貴の者たちは耐え得なかった。邪眼に睨まれ、神々は石になってしまった。人間のまなざしを怖れたというのではなく、怖れを感じるよりも早くに、生命の深いところを魔の視線に射抜かれてしまったのではなかったか。というのも、石になった神々の面影に怖れの気配がないからだ。優しい笑顔のままに石になっておられる。生きておられた頃に比べれば硬い表情ではあるが、それでも今なお美しい。
 しかし神々ともあろうものがそうたやすく人間の力に敗れてしまうものだろうか、と訝しく思うかもしれぬ。だが、まことに、たやすく敗れてしまうものなのだよ。人間はいつも強いか弱いかばかりで判断してしまうが、聖なるものはごく繊細で精妙なもので、あたかも山奥にひっそりと咲く可憐な花のように、愚か者たちの粗野な手で容易に根絶やしにされてしまうのだ。私が石にならなかったのは、私が神々よりもはるかに人間に近いものであったからだ。お前とそう変わりはせぬ。小指の先さえも石になりはしなかったが、むしろ石になったほうが幸福であったのかもしれない。
 花咲く野原を吹きわたる風に舞い踊っていた彼らは、花々も風ももろともに巨大な石壁の浮彫になってしまった。木々の間を飛び交い、枝に腰かけて休んでいた彼らは、石柱になってしまった木々とともにやはり浮彫と化した。人間たちはそれを喜び、さらに彼ら好みに飾り立て、屋根を置き、塀をめぐらし、壮麗な神殿に仕立てあげた。かくて神々は人間たちの心にかなうものとなったのである。石の神々を彼らはしきりに拝みはじめた。拝むからには神々は石でなければならないのである。生きて踊り戯れる神々など威厳がないではないか。重々しく不動のものであってこそ礼拝するに足る。生命を失ったものを彼らは崇拝した。死を崇拝したのだ。敬虔らしく神々の像を仰ぎ見る、その目こそは神々を殺したのである。
 人々は神殿にて豊作を祈り、戦勝を願い、野を焼き、木々を伐り、海を埋め、街を作り、街は富み栄え、栄えに栄えた。石と化したとはいえ、ただの石ではない以上、それなりの御利益もあったのかもしれないが、おそらくそうではなく、人間たちの傲慢さを正当化するための権威として使われただけであったのだろうと思う。私は彼らと関わることなく、神殿の中で、浮彫に神々のかつての面影をしのびつつ、息をひそめて隠れ暮らしていた。私はたしかに人間のようなものではあるが、しかし人間と交わり共に暮らすほどには、人間になりきれない。そのようにしてどれほどの年月を過ごしたことだろう。ついに彼らは、焼けるかぎりの野を焼き尽くし、伐れるかぎりの木を伐り尽くしてしまった。もはや羊に食わせる草もなく、自分たちのかまどにくべる薪にも事欠く有様となった。すると彼らは、何たることか、平然としてこの地を見捨てたのだ。神々に一言の詫びもなく、いささかの償いもなく。あたかも野犬どもが獲物をむさぼり食った後、骨ばかりを見苦しく散らかして去っていくように。山々の肌はむき出しになり、平地は石くれと砂ばかりの荒れ野となり、もはや新たな生命を育む力もなく、あれからさらに長い時間が流れたが、ついに美しい緑は戻ってこぬ。
 神殿の塀は崩れ、屋根は落ち、飾り物は風に散ったが、はじめからあった石壁と石柱とはそのままに残った。それがお前が見ているこの景色だ。こうなってからもう随分になる。お前の父母を十代さかのぼった昔にもなおこの景色はこのようであった。死を崇める者たちの手がけたものは、もとよりすみやかに滅びてゆくが、かつて生命であったものは容易に滅びぬとみえる。とはいえ生命はすでに失われて久しいのであるから、滅びをまぬがれるわけにはいかない。石壁も石柱もわずかずつ崩れはじめている。浮彫もかつてほどの鮮明さは今はない。足もとのいたるところに、それ、お前の足もとにも、こまかな白い砂が積もっているだろう。石壁や石柱が風化した砂だ。こうして手にすくえば、骨と皮ばかりに老い衰えた私の指の間から、さらさらとこぼれ落ちてゆく。この砂は、かつて神々だったのだよ。光のなかで舞い踊る生命だったのだよ。
 私はどれほどの年月をここで暮らしてきたのだろう。まだ生きてはいるが、かたちばかりのことである。死んではいなというだけだ。私の存在に意味はなく、生活に目的はなく、心はうつろで、にもかかわらず愚かにも死を怖れている。いや、そうであるからこそ怖れているのかもしれない。真に満たされた者は快く手放すものであるのかもしれない。いずれにせよ、好むと好まざるとにかかわらず、死は必ず訪れるものではあろう。だが実のところ、一向にその気配がない。今の私のただひとつの希望は、死こそはまことの生命への入口であるという、古い言い伝えだ。この世界で死んだかに見えるものも、かなたの世界で永遠の生命を享けているという。そこは光と花々の香りに満ちている――。それを思えば死を待ち望む気持ちも起こらないではない。だが、その時が近付いてくる気配がいささかもないところをみると、人間たち、あの恐ろしい邪眼の一団が、生命を根絶やしにするまなざしをもって、死の恩寵をさえ殺してしまったのではあるまいかと思えてくるのだ。

訪問記

 地元の医科大学の標本室に、特別に入室する許可を得た。通常、学外の者については、医療関係者のほかは入室を認められないのである。たまたま私の知人がその大学で教鞭を執っており、頼んでみたところ、案外すんなりと許可が下りた。標本と呼ばれてはいるものの、人間の遺体であり、安易に公開すべきものではないが、不真面目な意図をもって入室を希望しているのでなければ、無下に拒む理由も本来はないのである、と彼は言った。ただ手続き上の若干の面倒はなくもなかったようだが、標本室の管理責任者は他ならぬ彼であったので、ある程度は融通を利かせたようである。
 構内のおおかたの建物は比較的最近になって建て替えられたものだが、奥のはずれの片隅に、隠れるように、戦前のままの姿を保っている二階建の棟があった。上げ下げ窓に鎧戸、白いモルタル壁に青い屋根瓦など、いかにも昔の洋館である。その一階が標本室で、二階は書庫であるという。一階の窓はすべて鎧戸が閉ざされていて中は見えない。真鍮のハンドルのついた重い扉を押し開けて入ると、内部は当世風に改装されており、短い廊下の奥にカードキーで開閉する自動ドアがあって、その向こうが標本室なのであった。
 建物は改装されていても、自動ドアの内に並んでいた標本棚は、古風な木製のものばかりであった。いかにも頑丈そうな造りではあり、おそらくは戦前からずっと同じものを使い続けて、不都合もないのであろう。すべての窓が鎧戸に閉ざされている上に、さらに遮光カーテンで覆われ、外光は一切入らず、天井の照明もあたかも燭光のように薄暗い。ただし標本棚の内側のところどころに、後になって取り付けたものでないかと思うが、蛍光灯が点いており、標本を観察するには支障ない。密室ではあっても空気のよどんでいる感じがしないのは、収蔵物の保管のために最も適切な室温、湿度が保たれるよう、空調設備が稼働しているのだろう。
 全身の骨格標本が何体かあり、幼い子供のものもあった。ホルマリン漬けの胎児の標本が数十体、まだ人間の形をしていないものから、生まれるまぎわのものまで順々に並べられていた。さらにさまざまの奇形の胎児、また出生後ほどなく死亡した奇形の嬰児もホルマリン液に浸かっていた。それから成人の脳、眼球、肺、胃、心臓などの標本が並び、多くはホルマリン漬けであったが、なかには特殊な技術により、生前の色や質感を生々しく留めたまま、薬液中にではなく空気にさらされる状態で、つまり標本棚の上にただ置かれているという状態で保管されているものもあり、一見、きわめて精巧な模型のようであった。標本の多くは病理標本であった。標本として残されるからには、病気自体が稀なものであるか、または一般的な病気であっても症状が著しく進んだものがほとんどであり、素人の目にもあきらかに致死性と知れる、むごたらしい病変を示しているものが少なくなかった。
 標本室の管理者である私の知人は、この部屋を自分の研究室としても使っていて、最も奥まったところの片隅に机を据え、一日の大半をここで一人で過ごしているのだった。静かであり、室温も常にほどよく保たれ、仕事に集中できる環境であると、軽口めかして彼は言った。しかし私には、自然に心に浮かんでくる疑問を抑えることができない。怖くないのか、と尋ねてみた。すると彼は真面目な顔つきになり、
「怖いものですか。考えてもみてください、ここにおられるのは、医学のために身をもって貢献してくださっている方々ばかりなのですよ」
と言った。ああ確かに、と思った。怖がるなどとは失礼にあたるではないか。そう認識を新たにしてみると、私もまた、怖いとはあまり感じなくなった。むしろ、無言の善意がこの部屋に満ちていて、自分がそれに包まれている、という気さえしてきたのである。
 全身の血管の標本があり、赤い細かな網を固めて人間のかたちに作ったもののように見えたが、本物の血管に赤い樹脂を流して固め、取り出したものとのことであった。珊瑚のように鮮やかな赤であった。標本棚のその場所のそばに小卓があり、頭蓋骨が載っていた。血管標本の強烈な赤色に対し、こちらは灰黄色をおびた柔らかな白で、たしかに自然物であるという、安堵させる感じがあった。触っていいですよ、と気軽な調子で知人が言う。とまどって彼の顔を見ると、にこにことしているので、私も楽な気持ちになって、頭蓋骨の丸い頂に手を置いた。違和感なく手になじみ、不思議なことにはかすかな温もりを感じた。もっと冷たく、そっけなく生者を拒む手ざわりを想像していたので、意外であった。しかしまた、かつて私と同じく生きた人間であったのだから、当然のことであるようにも感じた。もちろん体温などというものはないのだが、印象として、生きている者との握手とさほど違いがないのだった。
 それは標本室のずっと奥のほうで、ほど近い一角に知人の仕事机があった。本立てに学術誌や書類がやや乱雑な様子で並び、電気スタンドが点いたままになっている。かたわらの壁には花の写真をあしらったカレンダーがかかっている。そのあたりだけがあきらかな生者の世界である。机の上にはまた試験管立てが、私の訪問のまぎわまで作業をしていたとおぼしい様子で置かれている。よく見ると、そこに立ててあるのは試験管とは少し違うもののようである。よく似ているのだが、開口しておらず、試験管の底と同様に上端も丸く閉じている。十本ほどある管のいずれにも、真紅の液体がいっぱいに充填されている。見たところ、ほんのわずかの空気も、小さな気泡のひとつさえも管の内になく、完全に液体で満たされている。いや、もしかすると液体ではない赤いものが詰まっているのかもしれないが、私はその赤色の感じから、血液ではないかと思ったのである。とはいえ凝固、分離している様子がまったくないので、どうかなとも思ったのだが、私が関心を抱いているのを見てとった知人が言うには、人間の死後まもなく採った血液であるという。凝固も変質も決してしないよう処理されており、それらの管のなかには既に数十年を経過したものもあるとのことだった。血液の標本ですね、と私が言うと、彼は、厳密には少し違う、と言った。笑みを含んで、
「記憶の標本なんです」
と言ったのが、あまりに突飛で、聞き違えたと思った。しかし彼は、
「記憶の標本です。僕の専門分野なんですよ」
と繰り返した。
 凝固や変質を防ぐというばかりでない、特殊な処理を施されたそれらの血液は、観察者の目と管との角度、管に当たる光の具合によって、さまざまの映像を内部に浮かび上がらすのだという。それが死者の生前の眼に映り、心にとらえられた光景の、正確な記録に他ならないというのだ。残念ながら現在の技術ではあまり多くの映像を再生することはできず、一本の管につき多くとも十あまりの場面、しかもほとんどは静止映像であるとのことであった。音声はついているのかと尋ねると、これまでのところは無音のものばかりだが、それがそういう性質のものであるのか、それとも技術の不足から再生できずにいるだけなのか、まだ分かっていないという答えであった。なお、映像は、故人の生涯史において特筆されるべき大きな出来事が優先的に浮かび上がってくるわけではなく、それどころか今のところは、本人もほとんど意識することがなかったであろう、ありふれた日常の景色ばかりが再生されているという。
「研究が進めば、犯罪の被害者の血液から、犯人の顔の映像を取り出すといったことも、できるようになるかもしれません」
と、彼はにこやかに言った。
 机の上の、電気スタンドのすぐ横に、同じほどの大きさのステンレス製らしいスタンドが置いてあり、先端に試験管ばさみが取りつけられ、はさんだ管の向き、電気スタンドの光に対する角度、高さをさまざまに変えられる仕掛けになっている。知人は試験管立てから一本の管を抜き取って、その試験管ばさみではさみ、私にも観察させてくれた。ただし、映像を浮かび上がらせるには多少の練習が必要だそうで、慣れれば何ということもないのだが、最初からできるとは限らないとのことであった。私は管を傾けたり、逆さにしたり、回転させたりしてみたが、なるほど、なかなか見えてこない。
 故人の私生活を覗き見ることになるという後ろめたさと、それを上回る好奇心、もしかすると研究者たちが見たこともない、驚くべき光景が私には見えるのではないかという期待に心逸らせながら、しばらく操作を続けているうち、ふいに、赤い液体から析出されるように、淡く白い影が管の中ほどに浮かんだ。目をこらしてみると、それはまさしく日常のありふれた景色であった。白から赤、暗い赤までの明暗と濃淡のみからなる単色の映像で、音声はない。どこの街であろうか、特定できるものは見当たらない、さしたる個性もないビルが並んでいる。比較的低いビルが多いので、都会というほどの街ではない、あるいはやや古い時代の映像であろうか。ビルの向こうの空に夕日が見える。いや朝日なのかもしれないが、それを夕日だと思ったのは、一日の始まる高揚感よりも、夜へ向かって降りてゆこうとする穏やかさ、静かさを感じたからである。一センチ角ほどの小さな映像ながら、目を凝らすほどに、ビルの窓のひとつひとつ、夕日のまわりに細くたなびく絹雲の様子までも見てとることができた。じつに平和な、そして何ということもない景色であり、なるほど確かに、当人もはっきりと意識しないまま通り過ぎていった風景であろう。とはいえ、意識されぬままに、その人の一日の疲れを癒し、安らぎを与えていた風景であったのかもしれない。あるいは、安らぎよりも、そこはかとない哀しみを与え、その人は自分でも気付かぬ間に、小さなため息をもらしでもしたかもしれない。私は、見も知らぬその人に親しみをおぼえ、いつ、どこの景色とも知れない景色に懐かしさを感じはじめた。そしてまたその人をも懐かしく思いはじめたのである。もとより自分と直接の関係のある者に対する懐かしみとは異なる。かつて私と同じようにこの世に生き、私と同じように日々を暮らし、やがて誰もがそうであるように去っていった人への、共感と哀惜といったものである。血液の中に私が探し当てることができたのは、結局その映像ひとつだったが、充分に満足であった。ありふれた日々、思い出すほどもない思い出とは、貴いものだと思ったことである。

鐘塔

 大理石の壁に太古の貝の化石が見られることがある。石の模様にまぎれて気付かれにくいものだが、ひとたび気付いてしまえば、もう貝のかたちにしか見えない。それに類したものを私は見つけたように思った。学校の階段の腰板の、緑色をした石材のうちにである。大理石に似てはいるが、より安価な石、あるいは人工の石であったかもしれないが、その緑色の上に複雑な網目のように広がる白い線や、稲妻のように走る灰色の筋、点在する黒いしみのような斑などを眺めているうち、そうした模様のひとつの部分が、こちらを向いている髑髏に見えてきたのである。それはひとたびそう見えてしまえば、もうそのようにしか見えない。そこは校舎のなかでも人通りの少ない、特殊教室ばかりが集められた棟の、最上階にあたる四階で、ことに放課後には、そのあたりの特殊教室を活動の場とするサークルもない、まず誰も来ない場所であった。非常に静かであったので、もしも誰か来れば、小さな足音であっても静けさを破って響き渡っただろう。私は階段に座り、膝に頬杖を突いて、かたわらの腰板のそれを眺めていたのである。階段はおそらく屋上につながっているのだろうが、踊り場で折れてから上方へ続いていて、その先の様子は私の場所からは見えない。踊り場の曇りガラスの窓から六月はじめの夕方の黄ばんだ光がさしている。窓は閉まっており、人通りもないので空気がよどみ、埃っぽく、蒸し暑い。壁の髑髏を恐ろしがって眺めていたわけではない。世の中から孤絶したようなこの空間を、私と共有している不思議な存在であると感じていた。暑さのせいで頭がぼんやりしていたせいでもあっただろう。
 髑髏が私に話しかけてきた。暗い声、怒りであるのか恨みであるのか、黒い感情のこもった、低い女の声だった。
「こんな所で何をしている」
私はさほど驚かなかった。むしろ、思いもかけず話し相手を得たという喜びさえおぼえつつ、
「あなたこそ、何をしているの」
と応じた。髑髏は黙ってしまった。困惑しているようだった。
 理由もなくこんな所にいはしない。もしも再び問われれば、私には、答える用意がなくもなかった。私はサークル活動をしていなかった。しかし帰宅しようとも思わなかった。家には、ささいなことで火がついたように怒り出し、私を罵り、殴る親がいた。殴られた痕はしばしば青黒い痣になった。私の幼い頃からそうだったが、この時期に一層ひどくなったのは、どうやら私が生意気になってきたというのと、学校の成績が下がりはじめたというのが理由であるらしかった。しかし、すぐに暴れ出す親というのは、はたして子供の勉学の妨げにならないものだろうか。親もずいぶん、頭が混乱していたのだろう。私の頭もまた混乱していた。一日のかなりの時間、ときに眠っている間でさえも、恐怖感が心を去らず、そうでないときには、疲れのせいだろうか、ぼんやりと放心していることが多かった。そういう状況下でそういう精神状態に陥るのは、仕方のないことだとも思えたが、また一方、自分の場合はことさらに、頭の調子を崩しやすい血筋なのではあるまいかと、わが身を案ずることもあった。そういったことを友人たちや先生に相談しようとは思わなかった。というのも、彼らの暮らしぶりは私から見てあまりにのどかで、それゆえ私の話すことを理解してくれそうな気がしなかったのである。冗談だと思われるか、あるいは本当のこととして受け入れられても、今度は私のことを、面倒な問題を抱えた厄介者とみなして、敬遠しだすのではないか。杞憂という気もしたけれども、しかし当時の私の感覚として、私と彼らとの間には何か、目に見えない膜のようなものがあり、それによって実際に隔てられているのだという、妙な感じが常にあった。そんなことがあるものかと、自分でもおかしく思いはしたが、実感としてどうにも否定できなかったのである。私ひとり異なる世界に迷い込んでしまったのだという不安を抱きつつ、表向き何事もなげに人々と交わるよりも、むしろすっかり一人でいるほうが、不自然な努力をせずにすむだけまだしも安らかにいられるのだった。そういったことを石のなかの髑髏に話すつもりはあったのだが、それ以上尋ねてこなかった。別のことを尋ねてきた。
「私を不気味に思わないのか」
思わないでもなかったが、それよりも親しみがまさっていた。私は自分の感じているとおりを答えた。
「むしろ、こんなところにいる者同士、どこか似ているんじゃないかと思ってる」
髑髏はまた黙った。歯ぎしりの音がした。それから、少しぼやけてはいるものの、生きている人間に似たかたちをとって、石から出てきた。石と私のあいだにしゃがみ込み、あらん限りの憎悪をこめて、といった上目遣いで私を睨んだのである。あらん限りでその程度ならばさほどでもない、という気がした。おそらくはひどく悲しい、つらい思いを抱えて、一人きりでずっとこんなところに隠れていたら、こんなふうにもなってしまうものなのでないか。私には気の毒な感じがしたのである。骨そのものと大して変わらないほど痩せこけ、髪はばさばさに乱れ、皮膚はミイラのように乾き、一見したところ老婆のようだったが、着ているものはこの学校の制服である。干からびた皮膚ではあるが、皺はなく、髪に白髪があるでもなく、どうやらこれは少女なのではないか。落ちくぼんだ目の、憎悪の光は、人間たちから苛め抜かれて兇暴になった野犬の目を連想させた。じつはそれは憎悪というより、深い不信のまなざしなのかもしれないとも思った。殺されたか、殺されるように自殺した少女なのではあるまいか。そういう出来事があったと聞いたことはなかったが、年月が経つにつれ人々の記憶から失せていった出来事であれば、私の耳に入ることもない。事故死や病死であったとしても、いずれ大きな無念を抱いて死んでいった者であろう。
 私自身が生の世界からなかば離れて暮らしていて、生の世界が必ずしも私の日常ではなかった分、そうした存在に出会っても、何かありふれたことのような気がして、ただ相手の顔をあまり長いこと眺めているのも変である、というだけのことから、私は踊り場の窓へ目をやった。曇りガラス越しの光は、その向こうの太陽が傾きを増すにつれ、黄ばんだ白からはっきりした黄金色へと移りつつあった。その輝きに目を奪われた。終末の感じがあるものが好きであった。寂しさや悲しみよりも安らぎをおぼえたのである。
 すると、壁から出てきた者が言った。
「夕日が好きなら、もっとよく見せてあげよう」
笑みを含んだ声であった。彼女のほうへ視線を戻すと、ぎらぎらした目で笑っているのだった。
「鐘塔に上れば、夕日と、夕暮れのきれいな街がよく見える」
言葉とはうらはらの悪意の笑みであった。鐘塔は、校舎の最上階である四階よりもさらに二階分ほど高く抜きん出た、この建物を特徴づける構造物であるが、そこに生徒が上れるという話を聞いたことがない。そもそも機械仕掛けなので、人間が鐘つきをする必要がないのだ。それにまた私は、校庭に立って鐘塔を真下から見上げ、鐘がそこにおさめられている頂の小窓をはるかに眺めながら、これはいつか自殺者が出るのではないかといつも思っていた。ベランダもひさしもなく、頂から落ちた者はそのまま地面まで真っすぐに落ちるのである。そんな危険な所に生徒が自由に出入りするのを、学校が許しているはずがない。とはいえ彼女の魔の力をもってすれば可能なのかもしれない。もしかすると、そうやって私を塔の頂までおびき寄せて、突き落とすつもりではなかろうか。私は彼女の顔をまじまじと見た。一瞬、ひるんだらしい表情が見えた。次の瞬間には、猛然と怒り出した。見すかされた悔しさから怒っているのだろうと思ったが、確実にそうであるかは分からなかった。さきほどの笑みに私は悪意を感じたが、しかし髑髏に皮を張っただけの顔では、どう笑ってみたところで善良そうな表情にはならないはずで、必ずしも彼女の本心が反映されているとは限らない。実際、彼女の怒りは、老婆めいた外見とはつりあわない、少女の癇癪めいたものであった。落ちくぼんだ眼窩の奥の目がうっすらと涙にうるみ、身を震わせ、声を張り上げて、
「私のことを悪霊だと思っているでしょう!」
それは確かに少女の声であった。私ははたして彼女を悪霊だと思っているのだろうか。申し出の善意を私はなお信じきれていない。が、そうではあっても、性根そのものが悪であるという気はしないのだった。むしろ彼女自身が、わが身のありさまを浅ましい悪霊になりはてたものと見なし、それを恥じ、そうであるからこそ私の態度に対して敏感に反応しているのではないか?
「思ってませんよ」
私は軽く答えた。そして、突き落とすつもりであるのなら、それはそれでいいのではないかという気がしてきた。すでに生の世界の外へいくらか踏み出してしまっている私である。死というものがさほど自分にとって疎遠だという気がしないのだ。それより、鐘塔に上れるというのは本当だろうか、という好奇心が強くなってきた。
「この階段を上がった先が鐘塔」
彼女はそう言いながら立ち上がった。埃が舞い上がって夕日の光の中にきらめいた。そして階段を上りはじめたので私も後に続いた。踊り場にさしかかったとき、彼女の顔が見えたが、暗い顔であった。怒りや恨みの暗さではない、もっと内向的な暗さで、憂いあるいは悲しみといったものではないかと思われたが、髑髏同然の顔とあってはよく分からない。ただし、心なしか頬のあたりがさきほどよりもふっくらとしてきて、皮膚も多少の潤いを取り戻しているようでもある。踊り場からさらに上りにかかると、私にはもう彼女の後姿しか見えない。
 階段を上りきると、屋上へ出るドアがあった。校舎の他の場所の、もっと賑やかなところにある屋上へのドアと、まったく同じ型である。しかしドアのかたわらの、他の場所なら壁しかないところに、もうひとつそっくりなドアがあった。私たちが来たときにはすでに開け放たれていたそのドアの向こうは薄暗く、いま上ってきた階段の幅の半分にも満たない、細い、急な階段が上に向かってのびている。鍵さえかかっていないとは一体どうしたことか。学校としてこんないいかげんな管理をしているとは考えにくく、やはり彼女の魔力によって開いたのではなかろうか。彼女はそのドアの前に立ち止まり、振り向いた。はじめよりも確かにふっくらとして、より人間らしくなっているからこそ、はっきりと感じ取れる邪気の漂う笑顔であった。ひどい隈が出てはいるけれども落ちくぼんでいるというほどではない目に、私は尊大さの色を見、また私に対する嘲りの気配を見てとった。それが、ドアをまんまと解錠しおおせた自分の力を誇る気持ちから出ているものなのか、それ以外の何かであるのか判断がつきかねた。
 彼女の顔に狼狽の影がよぎった。見抜かれた、と思ったのか、あるいは不意におのれの浅ましさに心づいたのか。たちまち泣きそうな顔つきになり、
「やっぱり、私のこと、悪霊だと思っているのでしょう!」
攻撃的であるよりは、みずからを恥じて、身を隠せるところがあるならば隠れたい、それができないいたたまれなさに、逆上して喚いているといった様子に見えた。哀れであると同時に、少し面倒にも感じつつ、
「思ってませんよ。さあ行きましょう」
と促した。彼女はしばらく黙ってうつむいていたが、やがてうるんだ目を指先でぬぐいながら顔を上げ、しかし私のほうは直視しないで、軽くうなずくと、先に立って階段を上りはじめた。踊り場ごとに小さな窓がひとつあり、光源はそれらの窓のほかにない。薄暗いばかりでなく、ひやりと涼しい。反響する足音のほか何の音もしないが、よく聞くと、私の足音しかしないのである。彼女の歩みには音がない。その足運びを興味深く眺めていると、あと数段で上り切るというところで突然立ち止まり、その場にくずおれ、両手で顔を覆い、声を上げて泣き出してしまった。そして、しゃくり上げながらまたもや言うのである。
「ほんとは、私のこと、悪霊だって、悪霊だって思ってるんでしょう!」
彼女を咎めているのは私ではなく、彼女の内のもう一人の彼女であるのに、当人は一向に気付かない。鏡として使われている私は、うんざりしつつも、そうした彼女の不器用な心を不憫にも思うのだった。一方、そうまで内なる声に執拗に咎められねばならない彼女の考えというのは、どんな恐ろしい考えなのだろうと思うと、やはり、私を塔から突き落とそうとしているのだろうと思えてくる。私は嘆息したが、さほど怖いという気もしない。死んだら、彼女のようなものになるのだろうか。それならそれで仕方ない。それで何も自分が悪霊などという大それたものになるとは思わない。
「思ってませんよ。さあ、一緒に夕日を見ましょう」
 彼女は泣きぬれた顔を上げた。大きく見開かれた目に驚きの色があった。その目にはすでに邪気の影はなかった。涙によって洗い流されたとも見えた。澄んだ瞳とやわらかな頬を持つ、素直そうな、どこにでもいそうな少女の顔であった。なんだ、可愛らしい子じゃないか、と思った。
 階段を上りきってドアを開けた。黄金の光が私たちを包み、吊り下げられている鐘の向こうに何羽かの鳥がゆったりと飛んでゆくのが見え、地上には家々の屋根が小さく、そして遠くに海が見えた。正面と左右とにある窓は、ガラスも板戸もはまっていない、壁を四角く切り抜いたというばかりのものであった。すっかり普通の少女になった彼女は、私と並んで正面の窓辺に立ち、夕風に吹かれながら黙って景色を見ていた。涼しいところから出てきたばかりなので、かなり暑く感じられたが、風に吹かれて立っていると、むしろあの薄ら寒く不吉なものが吹きはらわれてゆくような爽快さがあった。私はちらと彼女の横顔をうかがい見たが、彼女のほうは景色を見ることに夢中であるらしかった。長いこと壁の中にばかりいて、自分ひとりでは鐘塔に上ることもなかったのではないか。家々の屋根を見、遠い海を見やっていた目が、やがて宙を舞う鳥たちの姿を追った。白い鳩であった。翼をひるがえして、校庭の木々の枝に舞い降りるもの、屋上のフェンスに並んで止まってはまた舞い上がるものや、なかには、私たちのいる塔の頂の屋根の上に翼をやすめているものも何羽かいるようだった。私はまた窓の真下へと目をやった。おそるべき高さであった。私は彼女のことを、いつの間にか、気心の知れた前々からの友人のように感じていて、もしかすると彼女もそう感じているのかもしれないという気がしていた。邪気はもとより、苛立ちや、ちょっとした緊張の気配さえも、彼女のほうから伝わってこなくなっていたのである。とはいえ、まだ本当に信頼していたというわけでもなかった。不意に突き落とされることもあるかもしれないと思った。しかし、その可能性を考えつめる気にならなかったのは、ひとつには、あまりの高さに、いささか目まいを起こしていたせいもあるかもしれない。ぼんやりとした心で、私はつぶやいた。
「あなたには足音がない。私には足音がある。私には重さがある。ここから落ちれば、面倒なことになる。あなたとは違う。あなたには重さがない。私にはあなたがうらやましい。あなたは私よりもむしろ、鳩に近い」
そして、それはしばらく続いていた沈黙を破った言葉であったのだから、返事があるものと何となく期待して、彼女のほうを見た。しかし返事はなく、彼女がこちらを見ることもなかった。とはいえ私の言葉を聞いていなかったわけではないのである。窓よりもやや高いところを飛んでゆく鳩の姿を、彼女は目を大きく見開いて見ていた。私の言葉をきっかけに心付いたことがあったらしかったが、心付いたそのことにすでに関心が移り、私の言葉それ自体はすみやかに忘れられたようだった。それにまた彼女は、鳩そのものを見ていたのではないのである。可愛らしい、澄んだ目は、ただ単に鳥の姿を見つめているにしては、あまりに真剣であった。鳥の姿に仮託された、彼女の心のうちにひらめいた何か大切なものに見入っているのに違いなかった。それは何だったのだろう。ひとつの希望、しかし希望についての具体的な考えというのでなく、希望に満ちた予感、ただ感じられるというだけのもの、その感じが彼女をとりこにし、われを忘れ、うっとりとして、黄金色に輝く空を見上げていた。そのとき一羽の鳩が、私たちをめがけて窓から飛び込んでくるかと見えた。まばゆい陽光を浴びた翼は、翼というよりも白い閃光であり、私は目がくらんで、一瞬何も見えなくなった。次の瞬間には、その鳩も、彼女も消えていたのである。鳩の翼にしてはずいぶん大きく、立派に輝いていたから、もしかするとあれは天から与えられた彼女の翼であったのかもしれない。
 そして私はといえば、四階の階段にもとの通りに腰かけている自分に気付いたのである。ちょうど夢からさめたような具合だったので、夢だったのかとも考えたが、しかしどうもそういう気がしない。どうしても、今しがた目の前で起きたことだという気がしてならない。それはつまり生々しい夢であったというだけのことなのだろうか。実際のところ階段の上はどうなっているのか、そこに鐘塔へのドアなどというものが実在するのか、確かめてみようかとも思った。しかし実在しなかったなら、ただちに夢であったと結論付けていいのかどうか、よく分からなかった。まだ魔物であったときの彼女からすれば、わざわざ本物のドアを使い、しかも健気にその鍵を開けたりなどせずとも、魔力で出現させたドアと階段を使って塔の上へ誘導するほうが、手っ取り早かったのかもしれない。もっとも、そのように考えるなら、鐘塔そのものが偽物であった可能性さえ考えられるわけだ。しかし、そうであったとしても、魔界へ引き込まれていたのは間違いないところで、たしかに危うい状況ではあったことになる。さりとて、そうであったとする証拠など得られるはずもない。緑色をした石の腰板、そこに網目状に広がっている白い線、稲妻のように走る灰色の筋、点在する黒いしみのような斑といったものの、どこをどうつなぎ合わせてみても、今や、髑髏の形にはどうしても見えない。それを、はじめから存在しなかったものであると考えることは、私にはできなかった。彼女は去ったのである。

悪霊

 消毒液の臭いがするので、この部屋もまた病院の一室なのだろうとは思うが、しかし病室ではあきらかにない。あまり広い部屋ではなく、中央にやや大ぶりの白い机が置かれ、まわりに灰色のスチールの椅子が何脚か配され、壁に沿って書棚が並び、医学書ばかりが収められている。医学生が使う部屋ではないかと思う。大学附属の病院であるので。机の上には、高さ50センチほどのガラス瓶が何本も置かれ、それぞれの内に満たされた透明な液体に浸かっているのは、切断された人体の各部分の標本である。こうした標本の保存液というのは、たいていは黄色みを帯び、いっぽう標本それ自体は色が抜けて、生きている状態とはかなり違った姿になってしまっているものだが、この瓶の液体はまったく無色透明であり、標本そのものも変色することなく、生前の姿をそのまま保っている。今しがた死んだばかりの者を、血抜きし解体して水に浸けたといった様子である。ホルマリンではない、何か、特殊な保存液を使っているのだろう。胸部と腹部は裂かれて内蔵が露出しており、腹部の臓物の一部は観察しやすいよう引き出され、垂れ下がっている。頭部もまた打ち割られ、片側の目から頬までが失われているが、人相は分かる。そのように処理されているにもかかわらず、病理標本としての主眼はどうやら皮膚表面にあるようなのだ。全身のいたるところに、赤黒い、大小さまざまの、不定形の斑がある。非常に目立つものであり、これが死因としか思えないのだが、なぜ、わざわざ死体の内部を見せるように標本化されているのか、解しがたい。内部に病変らしきものは見当たらないのである。専門家が見れば何か思い当たるところがあるのかもしれないが、少なくとも素人の私には、皮膚表面を見せるついでに、腹を裂き、頭も割ってみた、ということのようにしか見えない。もしもそうなら、随分と失礼なことである。というのも、患部の様子、および半分のみ残存している顔面の造作からして、これが私自身の死体であるのは間違いないからである。
 症状がにわかに悪化して救急外来にかつぎ込まれ、そのまま入院することになって以降、私は一度も鏡を見ていないし、そのとき既に身じろぎさえままならぬ状態だったので、自分の肢体が実際どのような有様になっていたのか知らない。だが、それ以前、発症してまもない頃の、まだ数もそう多くなく、さほど大きくもなかった斑の位置を、はっきりと記憶していて、それが標本の無数の斑のうちでもとくに大きく、生きながら腐敗が始まっていたとおぼしき、見るからに禍々しいいくつかの斑の位置と、正確に一致している。入院したのは、みぞれの降る冬の日だった。今、窓の外では緑の木々が青空の下に明るい。風が強い。木々の葉が陽光にきらめきながら波打つように揺れている。窓は両開きの大きな窓で、やはり風を受けて、押し開かれそうに震えている。これは初夏の景色である。春の記憶が私にはない。入院した時点でもう私の意識は苦痛を感じることのほかに何の働きもしなくなっていたが、その意識さえ数日の後には失われていた。いつ死んだのかは分からないが、少なくとも標本として完成されるだけの日数は経過しているわけだ。窓を背にして、白い机のほうを向いて立っている私の、向かいの壁にある書棚にはガラス戸がはまっていて、そこに机とその上の標本は映っているけれども、私の姿は映っていない。
 私自身には自分の姿が見えているのである。ただ、入院中に着ていたはずの患者用のパジャマではなく、搬送された時に着ていた服を着たままであること、また、私を死に至らしめたはずの斑が、まだ少なく、ごく小さいままであることが、奇妙である。もしかすると、実体として存在している自分の姿ではなく、自分の姿はこうであるはずだという、記憶の像を見ているにすぎないのではないか。患者用パジャマを着た自分の姿を、私自身はほとんど目にしていないのである。そう考えはじめると、心なしか、まわりのものに比べて私の体はやや淡くぼんやりしているようだ。やがて生前の記憶が薄れてゆくにつれ、私自身にさえ私が見えなくなっていってしまうのではないか。姿を持たないというのは、どういう感じなのだろう。想像すると、寂しく、心細くなってくる。だが、それはそれで、案外、慣れてしまうものなのかもしれないとも思う。というのも、現に、生きていた頃に比べて、身が軽くなった感じがあり、これがなかなか不快でもないのである。軽く跳びはねてみると、たしかに、かつてよりも高く跳ぶことができる。自分の体というものがひとつの塊としてここにあり、足の裏をもって接地している、という観念が薄れてゆくにつれ、重力から自由になれるのではないか。そう想像してみれば、やや愉快な気分にもなってくる。
 ドアが開いて、白衣を着た初老の男に率いられ、普段着姿の若者が十人あまり、廊下から入ってきた。広くない部屋はいっぱいになった。私は跳びはねるのをやめて彼らを見たが、彼らはこちらに気付かない。医学部の教授と学生たちであろう。学生たちは標本を見て、一様に、嫌な顔をした。私も愉快ではない。いっぽう教授のほうは得意らしい顔つきで彼らを見回している。尊大な人相だと思う。性格が、下目遣いと、への字のまま固まってしまったらしい口元と、高価ではあろうが品のないベッコウ縁の眼鏡に表れている。いや、外見で決めつけるものではないと思うけれども。標本を作ったのはこの男だろうか。私の主治医でもあっただろうか。入院して以降のまともな記憶がないので、確実なところは分からないが、おそらくそうであったろうと思う。私は不運な患者であったのかもしれない。いかにも手入れに余念なさげな口ひげを生やし、かつ禿頭である。眼鏡の下から学生たちを睥睨し、ガラス瓶の中の哀れな患者について説明を始めた。
「これは、この極めて稀な疾患における末期症状の特徴を、完璧に示している素晴らしい標本であるので、とくと観察しておきたまえ!」
それからドイツ語やラテン語をまじえて説明しはじめたので、私にはよく分からない。ただ、話がこの病気をもたらした原因について説明する段に至ったとき、それが平明このうえない日本語で語られたこともあり、私は大いに驚いた。不摂生が原因であるという。そう指摘されるほど乱れた生活をしてきた覚えがないのである。しかし教授は引き続き不摂生の具体的内容を次々と言い立てはじめた。糖分の摂りすぎ、過度の飲酒、運動不足、睡眠時間の過多、云々。たしかに私は甘いものは好きだし、酒も飲み、よく寝るほうではあったが、人並みはずれてそうであったという気はしない。しかし指摘はさらに容赦なく私の人格上の欠点にまで踏み込んだ。精神の不健全さが肉体に及ぼす影響は計り知れないのだそうである。怠け者。優柔不断。小心。無責任。たしかにそれはそうだが、やはり誰しも多かれ少なかれそうである程度のものであると、少なくとも私自身には思われるのである。淫蕩。虚言。まったく心当たりがないとは言わないが、少なくとも生前そうしたことで大きな問題を起こしたりはしなかった。浪費。吝嗇。矛盾しているではないか。不信心。涜神。困惑するばかりである。思いつく限りの悪徳を並べ立てているだけとしか思えない。言いがかりもいいところである。しまいには「その他諸々の罪」とまで言い出した、教授の顔にそのとき死人に対する侮蔑の笑みが浮かんだ。死人みずからの罪ゆえに、自業自得で死んだ、と言わんばかりである。医者として患者を治すことができなかったという反省はないのである。私はこの厚かましい薮医者のせいで死んだのである。さらに彼は恥知らずにも、指示棒でもって標本の瓶のひとつをからかうようにつついた。その瓶には、どうやら、生きた人間であれば他人には見せないような身体の部位が収められているらしかった。
 この明らかな冒涜に対し医学生らはいかなる違和感をも示さない。いささかの疑いも持たずにメモをとり、スポンジの素直さで吸収し、さらに模倣する。医学的倫理とはすなわち教授が身をもって示すところのものである。たいした優等生たちである。彼らは患者の生前のおそるべき悪徳がもたらした当然の報いとしての死をおそれ、嘆息し、ほとんど胸の前で十字を切らんばかりである。彼らは自分で考えるということを知らない。自分で考えること自体が罪である。彼らは限りなく従順である。羊である。教授がつついた瓶の中身を、彼らは顔をしかめて、世にもおぞましい、汚らしいものとして眺めている。しかし私の見たところ、本当におぞましく汚らしいのは貴様らのほうだ。
 天井で大きな物音がした。見上げると、天井板に5、60センチほどの亀裂が入っている。私だけでなく教授も学生もぎょっとした様子で、口を開けて見上げている。何事か分からないが、それがちょうど私の憤激が頂点に達した瞬間であった以上、ひとつの可能性を検証してみる価値はある。私はすぐさま両開きの大窓に向かって念じた。窓は割れんばかりの勢いで開き、初夏の強風が、木々の葉の波打つ音と、草の匂いとともに吹き込んできた。あっけにとられている教授と学生たちは、一瞬の異常な暴風が窓を押し開けたと思っているかもしれないが、私はすでに完全に理解していた。ポルターガイスト(騒霊現象)だ!
 生きていた時分には、どれほど腹に据えかねることがあろうとも、据えかねるそれを無理にでも据えて、抑えつけていた力は、鈍重な肉体の力であったのかもしれない。それは相手を攻撃する代わりにおのれ自身を攻撃するという、愚かな真似をしさえした。据えかねるものを据えた腹は痛くなり、むかつく思いを呑み込んだ胃袋は荒れた。実際には誰よりも短気であった私は、それを抑えたがゆえにこそ、もしかしたら命取りの奇病に罹ったのかもしれず、そうなら確かに、忍従という不健全、不正直という悪徳が、肉体に及ぼす悪影響には計り知れないものがあるわけだ。幸い、肉体の重い鎧はすでに脱ぎ捨てられた。私の怒りは、生前には誤って良心と讃えられることもあった、世間体を気にかける弱さがその本質であるところのものに妨げられることなく、ただちに表現を得るようになった。いまや私は堂々たる悪霊である。こうなってしまえばこっちのものである。
 教授と学生たちはまだぽかんと窓を眺めている。私は机に向かって立ち、背後からの風を、私を支援するもののように感じながら、目の前のすべての標本に向かって、楽隊の指揮者が最強奏を命ずるように片腕を高く振り上げ、振り下ろす仕草をした。ガラス瓶が一斉に彼らへ向かって傾き、倒れながら破裂した。ああともおおともつかぬ、獣の吠えるような声を上げながら彼らは飛びすさったが、後を追うように無数の肉片が飛び散り、保存液とともに床や壁やを汚しながら、彼らの総身にべちゃべちゃと付着した。保存液はやはりホルマリンではなく、砂糖を焦がしたような甘ったるい匂いと、かすかな血の臭いめいたものとが混じり合いつつ室内に充満した。毒性のある臭気という感じはしないが、おそらく気分の良いものではあるまいに、誰も部屋から逃げ出さないのは、ある者は足がすくみ、ある者は腰が抜けてへたり込んだまま、身動きが取れなくなってしまったらしい。泣き出した者もある。少し気の毒である。はた目にもはっきり分かるほどぶるぶる震えている者もある。私は、もちろん驚かすつもりでやったのだが、そこまで怖がるというのは、もしかすると私の病気というのがじつは感染性のもので、かつ、すでに標本として処理されているにもかかわらず、まだ感染力が保たれたままなのではないかと疑った。私は、やり過ぎてしまったのだろうか。だが、そんなことがあるだろうか。単に、罪深い、おぞましい、汚らしいものが、それから完全に守られていたはずの自分たちに向かって、いきなり飛びかかってきたということ、そのこと自体に動転しているだけだろうとは思う。それに、万が一にも若干の感染力が残っていたところで、彼らの説に従うならば、高い徳によって発症を免れるはずではないか。にもかかわらず摩訶不思議にも発症してしまったならば、諸君は医者とその卵なのであるから、私の悲惨な症例から学んだことを生かして、ぜひ頑張って対処していただきたい。
 教授は書棚に背をもたせかけて床にべったり座り込み、視線を宙に漂わせている。ベッコウ縁の眼鏡がずり落ちかけている。机の上にはまだガラス瓶の一本の下半分が倒れずに残り、保存液はすっかり飛散してしまったが、標本そのものは、原形をとどめない肉塊となりはててはいるものの、底のほうに少々残っている。瓶の位置からいって、指示棒でつつかれていた瓶であろうと思われる。肉塊を手でつかみ上げてみると、淡い影のような手ではあるけれども、はっきりとした手応えを感じることができる。ぐにゃぐにゃとして、一部はミンチ状になり、指の隙からぽたぽたと落ちる。不思議に生あたたかく、まるで今しがた死んだばかりのもののようであるのは、保存液の特性として若干の熱を帯びるのでもあろうか。これらの手応えが本当に私の手の感覚であるのか、それとも、念の力でつかみ上げ、霊としての感覚でもって捉えているものを、知らず知らず生前の記憶の手の像と重ねているのかは、やはり定かでない。何にせよ自分の手としてまだ機能しているのは確かであり、私は瓶の底に残っている限りのものをわしづかみにつかみ出し、そのまま教授のそばへ走り寄り、力の限りに、
「喰らえ、この糞野郎!」
その禿頭に叩きつけた。肉塊は頭頂に弾け散り、顔面に崩れ落ち、先刻は何やらお楽しみの様子でつついておられたものにまみれて、教授は白目をむいて気絶してしまった。
 長年働いてくれた私の肉体に対し、最後のお勤めがこれとは申し訳ない気もするが、いや、最後にふさわしい活躍の場を与えたという気もするのである。私はせいせいとして、明るい窓のほうへ向きなおると、いよいよ身が軽くなっている自分に気がついた。姿もさらに薄れて、もはや私の目にも私がよく見えないのである。つま先で床を蹴ると、羽根のように舞い上がる。ならば、こんな狭苦しい、薄暗い、うんざりするような室内にこれ以上とどまる必要もない。とはいえ、まだそこに這いつくばってうめき声を上げたりしている人々のことを、やや気の毒に思わないでもなかった。しかし彼らは何といっても医者とその卵たちである、自力でどうにでもするだろう。そう考えれば肩の荷もすっかり下りて、私は気軽な散歩に出るように窓の外へと歩み出した。そこは建物の三階という高さであったが、さらに高いところへと、愉快に青空を昇っていったのである。

聖痕

 林の中の小さな町の、私の家の裏手にのびるゆるやかな登り坂を、しばらく歩いてゆくと、もともと広くはないその道はやがていっそう細くなり、勾配も急になって、森の中を辿る山道になる。しばらく前にその町に移り住んでから、私はこの道が好きで、よく歩く。舗装はしてあるが、いささか傷みが目立つ。あちこちに小さな割れ目ができ、雑草が生え出ている。それでも軽装で歩けないほど荒れているわけではない。私は普段着のロングスカートのまま構わず登る。ほかに歩いている人をほとんど見かけない。十五分も歩くともう車の音はまったく聞こえず、およそ人間の生活の立てる音というものがしない。それでも、いつの頃までか、このあたりに集落があったようで、道のほとりに黒く朽ちた掲示板を見かけ、また、木立ちの向こうの崖の下に、もとは一家族が住める広さがあったと思われる家屋の残骸を見おろしたりもした。
 あるとき、その道を歩いていると、道の片側が土手のような具合に高くなっているところがあり、私の背丈よりもいくぶん高いというくらいであったが、ほとんど垂直に近いほどの傾斜であったので、その上の様子をうかがおうとすれば、いかにも高いところを見上げるような姿勢になった。そこには、あたりの森に生えているのとは異なる、庭木めいた枝ぶりの木々が見え、その幹のひとつに背をもたせかけて若い女が立っていた。女は私を見ていた。大きな目で私を見つめて笑っていた。白い、まったく飾り気のない、くるぶしまで隠れるほどの長さのワンピースを着ていた。古い宗教画に、そうした格好をした天使や聖女たちが描かれていた記憶がある。たとえ豪奢な金襴の外套を羽織っていても、その下は、そのような簡素な長衣であったりする。だが、この女が着ているのは、よく見ると白いネグリジェのようでもある。山中で人目をほとんど気にかける必要がないからといって、寝間着で出歩く者があるだろうか。しかも今は昼下がりという時間帯である。
 女は私を見つめるばかりで、挨拶も何も言ってこなかった。ただ、その笑顔はひどく人なつこく、およそ世間ではそのような笑顔を初対面の者に見せることがあるとは思えない、異様なばかり親しげな様子であったので、はじめから彼女は、私とのあいだに挨拶などというものをさしはさむ必要を感じていなかったのかもしれない。美しい娘であった。たしかに天使か聖女のようであった。だが、やはり古い絵の、傷んでしまった画面のように、その顔、そして着衣の袖から出ている白い細い手には、うっすらとした、しかしあきらかな、茶色い斑点がいくつとなくあった。大きいものは硬貨ほど、小さいものは米粒かそれよりも小さいほどで、なかには、血がにじんでいるらしく赤みを帯びている斑点もあった。痛ましくはあったが、それが彼女の美しさを損ねるようには思えなかったのである。木の間からさす光を浴びて、彼女の姿は明るく輝き、私の目には神々しくさえ映った。
 彼女がそのように親しげであるのなら、確かに私は彼女と親しいのであろうという気がして、やがて庭木めいた木々の向こうの、私の高さからは見えないところへ彼女が立ち去ろうとするそぶりを見せたとき、私はそれを招きととらえて、急な斜面のそこここに浮き出ている木の根を足がかりに、彼女のところまでよじ登ったのである。また彼女も立ち止まって、私の登ってくる様子をにこやかに眺めていたのだ。
 庭木めいた、といっても、よく手入れがされていたわけではない。枝のあちこちからつる草が垂れ下がり、蜘蛛の巣がかかり、ながらく剪定などされていないようで、樹型が乱れていた。それでも、その枝ぶりにどこか瀟酒な、趣味的な感じがまだ残っていて、山林に自生する樹木でないことはうかがわれた。斜面を登り切ってみると、そこは、もとは美しかったであろう、荒れた庭であった。いや、今なお美しいと言えないわけでもない。衰え果てた薔薇の茂みが、それでも春には花をつけていたらしく、小さいながらも鮮やかに赤い実をつけていた。かつては季節ごとの花を咲かせていたのに違いない、一年草の植え込みのかわりに、松虫草、吾亦紅、あざみ、撫子といった野の花が乱れ咲いていた。
 庭の向こうに木造の古い洋館が建っていた。あまり大きくはなく、かなり傷んでいる様子で、壁の白い塗料などは半ば以上剥げ落ちていたが、廃屋というほどではない。小ぶりなドアは、玄関ではなく庭へ出るためのものらしかったが、では玄関はどこにあるのか、分からない。建物の庭に面した側のほかは、鬱蒼と茂った木々に囲まれ、道など通っていないように見える。が、こちらからは見えないだけで、木々の間を縫って抜ける小道でもあるのかもしれない。娘は早足に庭を横切り、ドアを開けて、さっさと建物に入ってしまった。すぐにこちら側を向いた一階の窓が大きく開いて、彼女の笑顔が現れた。あきらかに、入ってくるよう促しているのだった。私は彼女を追って庭を抜け、ドアを開くと、建物の奥へと長い廊下が真っすぐにのびていた。ほとんどの窓が厚いカーテンでふさがれてでもいるのか、暗くてほとんど何も見えない。ただ、遠くのほうにひとつだけ、ごく細くではあるが外光がさし込んでいる窓がある。その光が照らしているのは、どうやら、廊下の天井が崩れ落ちている様子であるらしかったが、わずかな光であったから、はっきりそうと見定めることができたわけではない。娘の部屋はドアのすぐそばで、部屋のドアは少し開いたままになっていた。中に入ると、あまり広くない部屋の中央に質素なベッドが置かれ、窓は大きく開かれているにもかかわらず、外気で薄まっているとは思えない、強い消毒臭がした。彼女は庭に向かってベッドに腰かけ、顔だけこちらへ向けて笑った。私は笑い返してから、室内を見回した。若い女の部屋であることをうかがわせるものは何もなかった。病室の感じがあり、してみるとこの建物は病院か、療養所の類なのではないか。ただ、彼女のほかにこの建物を使っている者がいるのかは疑わしく思われた。はたして、まがりなりにも使用に耐える程度に手入れされている部屋が、この部屋のほかにあるのかどうか。この部屋にしても、壁にかけてあるカレンダーは、黄ばんで朽ちかかり、そこにある日付はもう三十年ほども前のものだ。ガラス張りの両開きの扉がついている白い棚、これは昔の病院の薬棚を転用したもののように見えてならないのだが、その棚の上に載っている、いかにも骨董じみた置時計は、早朝とも夕暮れともつかぬ時刻をさしたまま止まり、それがいつの日のその時刻であったのかも分からない。窓の枠や桟は外壁と同じ塗料で塗られているようだったが、剥落することなくきれいに残っていた。が、長さ一、二センチの、短く細い棒状の何かが、いくつとなく塗り込められていることに気付いた。小さな葉巻のようなもの、あるいはやはり小さな、細長い逆さの円錐形をしたもの。私にはどうもそれらが蓑虫に見えて仕方がなかった。蓑虫であるとして、塗料に厚く塗り込められ、残らず死んでいるに違いない。建てた頃に塗ったままのものであるなら、何十年と昔のものだ。だが、いくつかのものについては、蓑の口にあたる部分がわずかに塗り残され、そこから呼吸も、蓑への出入りもできそうに見える。まさか、生きているのではあるまいか。万が一そうであっても、強烈な消毒臭にやられて死ぬだろうとも思う。そうでないとしたなら、窓の内側にも付着しているからには、蓑から蛾が出てきて室内を飛び回っては彼女も困るだろう。とはいえ、毒を持った蛾ではないなら、さほど困らないのかもしれない。何にせよ、彼女の寝具は、質素なワンピースのような寝間着と同様、清潔で、白く輝くばかり美しく見える。そうであるなら、そのほかのことは、あまり細かく気にかける必要もない気はする。ここは山の中なのであるから、どうしたところで、さまざまの虫は入ってくるだろう。薬棚を転用したらしい棚の中は、ほとんど何も入っていないのだが、中ほどの段に、本が何冊か並べてある。いずれもひどく古い本で、黴でも生えているのか、紙それ自体の劣化によるものか、濃い茶褐色に変色して、背表紙の書名を読み取ることもできない。そんなものをはたして若い女が手にするかどうか。単に前々からそこに置いてあったものが、そのままになっているだけではないのか。だが、一冊は、いかにも読みさしの頁を開いたままで伏せた、といったかたちで、他の本よりもベッドに近いところに置いてある。書名はやはりほとんど読み取れないが、途中の二文字のみ「神の」と読める。宗教書だろうか。こんな場所での寂しい暮らしの、心の支えとしているものか。しかし私の想像力は、私自身の意志を出し抜く素早さで、その二文字の前後を、変に陰気な語をもって埋めはじめた。前方に一文字を補って「精神の」とし、ただちに後方にも付け加えて「精神の異常」とした。あるいはまた「悪神の」「邪神の」等々。私はあわててそれらの想像を振り払い、やはり宗教書であろう、と考えた。こんな寂しいところで、神とただひとり向き合ううち、心は澄み、俗人のあずかり知らぬ不思議の力がはたらき、やがてあのように美しく、神々しくなってゆくこともあるのだろうか。
 狭い部屋の中を眺めて回りながら、いかにも思案顔であっただろう私を、娘はあいかわらずの笑顔で見守っていた。ふと目が合うと、その笑顔が、私の落ち着きのなさを軽くたしなめるもののように感じられ、少し困って立ち止まると、ベッドに腰かけている彼女の隣に座らせてもらってもよいのではないか、という気がした。この部屋にはほかに腰かけるものがないのである。はたして、そこに座ってみると、彼女は特段の反応もせず、まるでそうするのがあまりに当然のことであるので反応せずにいる、といったふうであった。私は安心して、正面の、大きく開かれている窓の外の景色を彼女と一緒に眺めた。空は青い。秋の午後の光が木々の葉を輝かせている。小鳥が鳴いている。私には感じ取れないほどのゆるやかさで日は傾きつつあり、やがては山の向こうに沈み、明日にはまた昇って木々を輝かすだろう。小鳥たちは朝をことほぎ鳴くだろう。季節は遠い昔の日々と変わらぬ足取りで円環を歩み、たとえ人々の世で何が起ころうと、その波風がここまで及ぶことは決してなく、彼女は何も知ることがないだろう。私はいつまでもこうしていたかった。だが、やがて彼女は私のほうを向き、私という珍しい来訪者に、自分が見せたかったお気に入りのものをひととおり見せ終わった、というふうな満足の表情を浮かべていたので、私は、そろそろ帰ったほうがいいのかな、と思った。その矢先、彼女は立ち上がり、ドアまで歩いてから、にこやかに振り返った。私は彼女と一緒に建物を出て、庭を抜け、急斜面をずり落ちるような危なっかしさで降り、もとの山道に立った。娘はそれを上から見届けると、別れの挨拶もなく、なごりを惜しむような様子もなく、ただ上機嫌らしくはある顔をして、すっと庭木の向こうへ入っていき、見えなくなってしまった。私としては寂しかったのである。
 それから幾度か私はそこを訪ねた。嬉しいことに、どうやら歓待されているらしかった。また不思議なことには、私が来ることを娘は常に察するようなのである。あるときは、私が山道をそのあたりまで歩いてくると、最初の日とちょうど同じところに彼女が立って私を見下ろしていた。また別のときは、急斜面をよじ登って庭に入ると、彼女の部屋の窓がすでに大きく開いていて、そこから彼女が私を見ていた。庭に咲き乱れる野生の花々のなかで、花々を揺らす風に吹かれつつ、私を待ち受けるように立っていたときもあった。風の強い日で、そんな日にわざわざ訪ねる私もどうかしているが、建物の外に出ていた彼女のほうも奇妙といえば奇妙である。が、偶然が重なっただけのことかもしれない。
 いずれにせよ、私はそこでいつも幸福な時を過ごしたのである。曇りの日には空一面の無彩色のなかに、ほとんど白に近い明るい灰色から、薄墨色、暗い鉛色まで、さまざまな調子の違いがあること、また、重なり合う雲の層ごとに流れる速さが異なることなどの面白さに、見とれているうちに時が過ぎた。いや、それは彼女の部屋の窓からでなくとも、どこから空を見上げても同じであるはずだ。ただ、地上の慌ただしいもの、騒々しいものが、ここには何もなかった。部屋の主はときおり不思議な微笑を浮かべるのみで、何ひとつ語らず、ベッドの上の私の隣に静かに座っていた。すると、雲のわずかな動きの、思いがけない力強さに気付いたりもするのだ。風の強い日ではなくても、町の中で見上げるときよりもいきいきと、生きもののように雲が動いているように感じた。一方、時間の流れはここでははるかにゆるやかで、ほとんど止まるかに思われた。時の止まったなかで雲が流れてゆく。雨の日には雨を眺めた。はるかな空の高みから、水滴が、際限もなく落ちてくるという、ただそれだけのことが面白かった。静かな森に、雨音ははっきりとした響きをたてたが、響くほどに、いっそう静けさを感じた。一人きりであれば、もしかしたら寂しかったかもしれない。だが、この単調な愉しみを、飽きることなく私と分かちあう者がいることが、私をいっそう愉しくした。それについて言葉を交わしはしなかったが、彼女もまた幸福であることは伝わってきた。窓敷居の上をかたつむりが一匹這っていったときも、私たちは無言のまま、その可憐な生きものがやがて窓枠の外へ去っていくまでを、共に視線で追い続けたのである。かたつむりも面白かったが、二人が同じものを見つめ、この他愛もない愉しみに一緒に興じているということ自体が、面白かった。言葉を介する結びつきよりも、言葉を介さないことによって、私たちはより親しく結ばれていた気がする。彼女のもとで私を幸せにしていたものは、結局、ほかの何よりもまず、そのことであったようにも思う。
 私の家の裏手から、ゆるやかな登り坂を歩き出すとき、隣の家で庭いじりをしている奥さんとよく目が合い、挨拶をした。そのまましばらく立ち話をすることもあった。陽気で親切な人であった。あるとき私は何気なく、この坂をずっと登った先に、古い病院か療養所のような建物がありますね、と言った。すると、にわかに彼女の顔がこわばったのである。そして訝しむような目つきで私を見た。建物のことを訝しんでいるのか、建物の話をしている私のことを訝しんでいるのか、分からなかった。いずれにせよ気まずく、どう話を続けたものかと困っているうち、彼女の方から口を開いて、私にはちょっと分からないねえ、と言った。その口調は普段と変わらないようだったが、表情はなお落ちつかなげであった。私は、そうですかと軽く流して、話を変えた。きのこがよく採れるのはどのあたりでしょうね。すると奥さんはもとの明るさを取り戻して、そういうのは知っていても教えないものだよ、私だって教えてほしいよ、と笑った。そして、きのこ狩りに行くならこのあたりの山を歩き慣れた人と一緒に行くように、念のため熊よけの鈴を身につけるように、などと助言してくれた。私はお礼を言ってから別れて、再び坂道を登りはじめたが、先ほどの彼女のおかしな様子はずっと気にかかっていた。
 また別の日、用事で町の集会所に行ったとき、窓辺の椅子に座ってのんびりと茶を飲んでいたお爺さんから、いよいよ紅葉だね、と声をかけられた。そのまま世間話をするうち、私は先日と同様に、森の中に病院か療養所のような古い建物がありますね、と話した。途端に、彼の様子もおかしくなったのである。老いて垂れ下がったまぶたの下に細くなっていた目が、大きく開かれて、私の顔をまじまじと見た。建物に関してであるのか、私に対してであるのか、やはり分からなかったが、訝しむまなざしの内に、恐怖の色があるようだった。彼はしばらくそのまま黙っていたが、やがて、知らんなあ、と言って顔をそむけてしまった。私は紅葉のことに話を戻した。するとお爺さんももとの笑顔に戻って私と話を合わせた。あたかも、何も聞かなかったかのように、まったく何事もなかったかのように。だが、何事もなかったことにしようとする意志の異様さ、意図のはかりがたさが私の気分を暗くした。
 それから後、機会を捉えては、何人かの町の人々に、それとなくあの建物のことを尋ねてみたが、みな一様に口を閉ざしてしまうのだった。こわばった顔つき、訝しむまなざし、まなざしの奥の恐怖の気配、それが建物に対してであるのか私に対してであるのか判断しがたいところまで、等しく同じであった。つまるところ、私は何か、ありうべからざるものの話をしているらしかった。あるにもかかわらず、ないことにしたいと彼らが思っているもの、あるいは、ないにもかかわらず、あると私が思っているもの。たとえば、私が親しくしているあの女が、じつは幽霊だとしたならどうだろう。だが、幽霊であるなら、ありうべからざるとはいっても、それについて彼らと話し合うということが、必ずしも不可能であるとは思えない。幽霊が出ると噂される古い建物など、世の中にいくらもあるだろう。しかし彼らのまなざしは、そもそも話し合うことができないものに向けられているようだ。幽霊であれば、怖いなりに、それが怖いものであると誰もが理解できる。ところが彼らの表情に浮かんでいるのは、むしろ理解不能なものへの怖れではないか。話し合いの余地なく、自分たちの世界から閉め出してしまおうとする。それがもしも建物でなく私にじかに向けられているのであれば、狂人を見る目つきというのがそれではないか、という気さえする。だが、私はそんな、おかしなことを言っただろうか?
 私としては、ごく普通の調子で話しているつもりなのに、あの不思議な女のいる建物のことに話が及ぶや、にわかに奇怪な語彙、異常な文法をもって語り出し、しかもそのことに自分ではまったく気付かない。というのも、その瞬間には私はすっかり狂ってしまっているからで、狂ってしまった者にはもう自分が狂っていることが分からない。そんな極端な可能性をさえ私はつい考え、ぞっとして、あわてて頭から振り払った。ともあれ、この件については当面、町の人々の前では話すまい、と心に決めた。小さな町である。不穏なことを口走る人物だなどと噂が広まっては、どんなに暮らしにくくなるかしれないと、怖れたのである。だが、いささか遅すぎたようだ。道を歩いていて、向こうから、親しいというほどでもないが、この町に来てから幾度か軽く言葉を交わしたことのある人物が歩いてきた。私は挨拶をしようとしたが、相手は妙な顔をして目をそらし、気付かないふりをしながら通りすぎてしまった。いや、もしかしたら、はじめの一瞬は私に気付いていたらしかったのは、私の勘違いで、じつは少しも気が付いていなかったのかもしれない。何しろ、ほんの数回、ちょっとした言葉を交わしたことがあるというだけなのだから、忘れてしまっていてもおかしくはない。つとめてそう考えようとしたのだが、しかし、似たようなことがそれから立て続けに起こった。買い物に行った先で、駅の待合室で、町の集会所で。そればかりか、こちらを見ないふりをしながら、横目で見つつ、小声で何か話をしている人々さえいた。すべて思い過ごしなのだろうか。どうもそうとは思えない。町じゅうの人々が私の噂をしている。私はすっかり恐ろしくなった。隣の家の親切な奥さんさえ、通りかかった私に向ける笑顔のうちに、暗い疑心の影がある。
 私は頭を抱えて考え込んだ。人々が疑っているのが、私の正気についてであるとは限らない。たとえば、やはりあの建物が幽霊屋敷であるとしよう。しかし町の人々はそれについて私と話し合うことができない。何らかの理由で、昔からの住民以外には、その話をすることが禁じられている。そして、話しさえしなければ、新しい住民が幽霊屋敷を勝手に探し当てることなどないと、固く信じていた。山道よりも一段高いところ、しかも奥まったところにある建物が、そうやすやすと見つかるものではないし、見つかったとしても、荒れた庭を抜けて建物の様子をうかがう酔狂な者が滅多にいるとも思えない。病院か療養所のようである、というのは、離れたところから眺めているうちは分からないことだ。そこまで踏み込んでしまった私は、もはや町の人々にとり耐えがたい存在になってしまった。秘密の結界を踏み越え、呪われた存在となってしまったのである。この想像もまた私を暗い気分にしたが、正気を疑われるよりはまだしもである。もしもこうした事情が彼らの側にあるものとして、どうにか彼らの心をなだめ、歩み寄りをはかることはできないものか。それは、正気を失った者がみずからの正気を証明しようとすることよりは、まだしも、見込みのある試みだと私は思うのだが。しかしこの場合、あの若い女、今や私にとりかけがえのない存在である彼女は、幽霊だということになってしまう。
 もちろん、幽霊というのも可能性にすぎず、しかも荒唐無稽の部類である。事実は私の考えもつかない、しかし明らかになってみれば、なるほど、いかにも世の中にありそうなことだと、納得されるものなのだろう。もしかすると苦い幻滅、絶望の苦しみとともにそう納得されるのかもしれないが。いずれにせよ町の人々の様子からして、私がこれまであの娘に対して抱いてきた思いとは相容れない、暗い秘密が存在するのはかなり確かなことのように思われた。いや、少なくともそういう疑いの心が、すでに私のうちに芽生えてしまった以上、今までのように澄んだ気持ちで彼女に会うことは、もはやできないのだった。その秘密を人々から聞き出すことは当面は難しいと思われるので、私は、彼女にじかに尋ねてみることにした。だが、一度たりと口を利いたことのない者が、何を答えるというのか。しかも彼女自身の不利になりかねない事柄について。しかし言葉はなくとも、顔つきの変化や仕草から、ある程度の察しをつけることはできないだろうか。これまで私が彼女と心を通い合わせてきたのは、常にそのやり方であったのだ。
 私は山道を登った。前回の訪問から少し日数が経っていたので、紅葉はいっそうあざやかに、燃え立つばかりであった。陽光を透かして、赤、黄色のステンドグラスのようでもあった。しかし私の足は重く、これが日頃通い慣れた道であるとは信じがたいほど遠く、けわしい坂であるかに感じられた。庭木の下の急斜面をどうにか登りきり、今は松虫草や吾亦紅に加えて、竜胆の青い花がそこここに咲いている裏庭に立ち、建物のほうを見た。彼女は自室の窓から、すでに、私がそちらを見るよりも先に私を見ていた。やはり私が来るのが分かるのではないか。いつものように人なつこく、美しく笑っていた。このうえなく優しいまなざしであったが、そのまなざしに、私は射すくめられたように感じた。私が疑心を抱いてここへ来たことを、見抜いているのに違いなかった。まるで幽霊か、おぞましい魔物のように彼女を見なして、その化けの皮をはぎ取ってやろうというばかりの、暗い思いを胸に隠してきたことを。恐ろしい目だ。見抜かれたことが恐ろしいのではない。あのような目を私は世間の人々のうちに見かけたことがない。深い優しさ、天真爛漫さと、すべてを見透かす力とを併せ持つ、不可思議のまなざしだ。私は、あれこれと用意してきた問いかけの言葉、そのなかには誘導尋問のような、念入りに練り上げ、こしらえたものもあったはずなのだが、おおかたを忘れてしまった。いくらか覚えていたものも、すでに遠い世界の、随分と昔の、もうどうでもよいものになってしまったように感じた。かわりに、おのれの浅ましさを恥じる気持ちがわき上がってきて、あふれんばかりに胸を満たした。情けなさに、その場に立ち続けているのが堪えがたいほどであった。にもかかわらず彼女のまなざしは依然として優しく、むしろ底なしに優しかった。私は、赦されているのであった。もう二度と罪を犯すまいと思った。窓の内の薄暗がりの中で、輝くばかりに見える純白の衣をまとい、純白の寝台の上にこちら向きに座っている彼女は、おごそかな美しさで、あたかも聖龕の内で栄光の玉座についている姿の聖像のようだ。私は、疑い得ないものを疑ったのだ。彼女は正しい。町の人々が間違っている。彼らがこの女について、また私について何やら考えめぐらしていることが、いかなることであるのかを、もう知ろうとも思わない。いずれつまらぬことに違いない。とはいえ、彼らももともとは温和で純朴な、愛すべき人々ではあるのだ。しかし、哀しきかな、狂っている。
 それから数日後のことだった。私は自分の手首の皮膚に、それまではなかった、しかし見覚えのあるものを見た。うっすらとした茶色の斑点である。ごく小さく、米粒かそれより小さいくらいだが、すでにいくつかあり、これから数を増やしながら大きくなっていくのだろう。私は欣喜した。私はこれをあの娘と共有しているのであり、ゆえにこれは聖なるものである。彼女の不思議、彼女の神秘に、これからはじかに触れることができる。病とどう付き合っていけばよいか、彼女のもとへ行けば教えてもらえるだろう。私はもう、あちらの世界の側の者なのだ。あの建物に私も住まわせてもらおう。あの聖域で、美しい微笑の智恵のもとで、静かに、永遠にこの世を離れて暮らせればよい。