2012-01-01から1年間の記事一覧

旧交

私が私に助けを求める。あれが不安だ、これが怖いと泣き騒ぎ、痩せた指を私に食い込ますようにしがみついてくる。いつものことだ。あの不安、この怖れを、ひとつひとつ取り除いてやっても、必ず、すぐさま新しいのを見つけてきては騒ぎ出す。きりがないのだ…

紙片

亡き祖母がながらく守ってきた古い土蔵の中で、私は妙なものを見つけた。埃だらけの棚の上、何が入っているやら知れぬ木箱や壺の陰に、一枚の紙片が落ちていた。置かれていたのではなく、落ちていたのだと思うが、もしかするとわざと無造作に、何でもないも…

七歳の夏から住みはじめた森のなかの家で、はじめて迎えた冬の、ある日の朝早くのことである。それまで住んでいた街なかの家よりも、ずっと寒い。なにしろ家の外には、街の暮らしではほとんど目にしたことさえない雪が、この数か月来降りつづき、深々と積も…

孤客

彼がまだ幼い子供だった頃のことである。彼の住んでいたあたりはよく雪の降るところであったが、その夜はことに降りつもり、集落からやや離れて建つ、彼の生家である大きな屋敷のまわりは、深々と雪に覆われ、しかもさらに降りつづいて止む気配がなかった。 …

衛兵

幼い日に林のなかで見たもののことを、彼は今なお思い出す。記憶のなかで、林の奥へと続く道をたどるとき、それがそのまま自分の心の奥深くへ向かっての道のりであるように感じる。彼をとりまく木々の梢は日の光を透かしてきらめき、風にざわめき、緑の波の…

舟旅

北のかなたの国で、今しがた日の沈んだ海を、さらに北へ向かって漕いでゆく小舟があった。風変わりな旅人がひとりきり乗っている。薄暗い空の下を、さらに光とぬくもりから逃れようとするかのように、最も暗い水平線へ向かって漕いでゆくのだ。身を切るよう…

聖堂

正午近くの太陽が輝いている。おそろしく暑い。歩いているうち、ときおり意識が遠ざかる。太陽のせいだろうとは思うものの、もしかすると私自身、熱があるのかもしれない。赤い、大きな、古い煉瓦造りの建物のまわりを歩いている。建物の内にも外にも、誰の…

すでに照明の消された廊下の、非常灯だけがともっている闇のなかを、この街のどの学校よりも地味な黒い制服を着て、ひとり歩いているお前、子供の頃の私、どこへ行こうというでもなく、ただ他の子供や教員たちの目から逃れるように歩いている。クラブ活動に…

山道

存じております、あなたはもはや生きてはおられない。あなたの血、あなたの引き裂かれた肢体、あなたの片手や、脳髄の一部らしきもの、あるいはどの部分とも知れない肉片、それに引きむしられた髪の毛が、そこここに散らばっているのを私は見たのですから。…