桃園

 日の光はぬくもりを帯びてきていたが、風はまだ冷たかった。山の木々はほとんど冬枯れの姿のままだったが、すでに雪は溶けて、ところどころに下草の芽が伸びはじめていた。よい天気だったが、春がすみのために青空がいくぶん白っぽくみえた。山の奥、人里から遠く離れたところに、桃の木が幾本ともしれず花ざかりに咲いていた。そこには山道の一本すら通ってはいなかった。人の気配はまったくなかった。ただ冬枯れのすすきの茂みのなかから桃の花を眺めている、ふたりの老人の姿があった――人間ではなかった。粗末な衣をまとい、ひどく醜い顔をした爺と婆であったが、あきらかに神さびてみえたのは、この世のものとも思われぬうつくしい微笑みのせいだった。仏や神々の像にしか見出せないような穏やかで優しい、満ち足りた微笑みである。その姿がほのかな白光につつまれているようであったのは、彼らが明るい日だまりのなかにいたせいだけではあるまい。ふたりは互いに不思議な言葉をかわしあった。
「姫さまがおられるさかい、今年も春がきたわいね」
「そうや、姫さまがおられるさけ、有難や」
「有難や」
ふたりにとっては、そこにいかなる不思議もなかった。いつとも知れぬ昔からそのようにして春は来たのだ。いつとも知れぬ昔から、姫にかしずいてきた彼らはそのことを知っている。彼らは幸福そうに目を細めて合掌した。
 姫が桃園に現れた。ゆったりとした錦の衣に身をつつみ、白粉を塗って唇に紅をさし、きらびやかな宝冠を戴いた幼児が、よちよちとおぼつかぬ足取りで冬枯れの薮のなかから出てきたのだ。これは永遠の童女である。永遠にみずみずしく、無垢でありつづける春の生命の霊である。そしておのれの存在が年ごとに大地に春を招いていることを、永遠に自覚することのない、愚かな、無我の瞳があたりに咲き乱れる桃の花を驚いた様子で眺めている。