石畳

 空は青く、青く、青かった。白い石畳が真夏の陽光に照りつけられて燦爛と輝いていた。それがどこであったのかよく分からない。古代神殿の庭のようだった。が、それはありえない。現代である。現代の最もありふれた公共施設の敷地の一角である。
 まわりに人がいたかどうか分からない。いや、いた。それも大勢いたはずだ。だがそれはわれわれの知らない、われわれとはいかなるかかわりも持たない、匿名の市民たちの群れだった。天気がよかったので、彼らはこの白い石の敷きつめられた公共施設の庭で、恋人とともに、あるいは子供とともに、あるいは愛犬とともに余暇を楽しんでいた。だがそれはわれわれとはまったく無関係な群衆であったので、あえて思い出そうとすれば、目も鼻も口もない、灰色をした粘土の人形の姿ばかりが見えてくる。われわれが彼らにかかわりを持たなかったように、彼らもまたわれわれのほうを一顧だにしなかった。それはありがたいことだった。
 白い敷石のうえに小石でさらに白く、少女は魔法円らしきものを描いていた。敷石よりもさらに鋭く陽光を反射する線でくっきりと円形を描き、その内部にわたしには読めない文字をいくつも書きつけていた。それらはよどみなくすらすらと記されてゆく。彼女は古代の女祭司の末裔なのだろうか。それとも子供の夢想が生み出した気ままな戯れでしかないのか。
 彼女はわたしの視線に気付くと、笑顔を見せて立ち上がった。挑発的な笑顔であった。美しい、明るい茶色の瞳と黒い髪とを持った少女であった。天使のような、妖精のような少女であった。わたしは彼女をまったく知らなかった。にもかかわらず昔どこかで見た顔のような気がして懐かしかった。唐突に、しかも絶対の確信と誇りに満ちて、
「神様が迎えにくるの」
と彼女は言い放った。まなざしはおそろしいほど澄み、微笑とともに狂気か魔のようなものを漂わせて炯々と輝いていた。思いもかけない言葉であったが、にもかかわらず、わたしはその言葉をこそ聞きたかったのではないかという気がした。彼女の笑いはわたしを、神に迎えられることのない哀れな地上の民としてあざけり、さげすむもののように思われた。しかもわたしはそのまなざしを甘受した。絶対の権威のごときものが彼女から後光のごとく発せられているのを感じた。彼女は正しい。そして彼女は召されるだろう、今日のこのおそろしい青さをした空の彼方へ。
 わたしはめまいをおぼえながら、その場をあとにした。そしておそらくその公共施設に来た目的であるところの用事を済ませに、建物のなかに入ったのだと思う。しかしまったく記憶にない。なんの用事があり、どのようにそれを済ませたのだったろう。いずれ日常の瑣末事であったに違いないが、そのときの光景のかけらすら残っておらず、一連の記憶のなかでそこだけが暗い。
 思い出せるのは、ふたたび少女のいた場所へ戻ってきた時点からである。すでにそこに彼女はいなかった。いや、彼女だけではなく誰ひとりとしていなかった。さきほどはそこに大勢いたはずの人々が姿を消していた。もっとも彼らがいてもいなくても、われわれ二人にとっては同じことだったのだが。魔法円も消えていた。静寂がすべてを支配していた。死の静寂である。空は依然として青く、青く、真夏の苛烈な陽光が真上から照らしつけてわたしの影は足もとに小さく、白い敷石はまばゆく輝いていた。さきほど彼女がいたあたりの敷石に、血が点々と二、三滴散っていた。真新しい血だったが、灼けた石の上ですでになかば乾いていた。そしてまた薄墨色をした羽根が一枚落ちていた。鳩だろうか。いずれいましがたあわただしく飛び去ったものの痕跡である。