浜辺

 私は浜辺を歩いていた。朝日が昇る前の、すみれ色の薄明かりが空に広がり、海に映り、砂浜をほのかに照らしていた。私のほかには誰もいなかった。波の音のほかには何も聴こえなかった。風は水平線のかなたからごく静かに吹いていて、防風林の松もかすかな葉ずれの音さえ立てることなく、夜明け前の闇のなかにまだ沈んだままでいた。
 私は歩きながら、何かを探しているような気がしていた。あるいは、誰かを探しているような気がしていた。しかし自分でも、それがどういうことであるのか、分からずにいた。心に、ぼんやりとした思慕のようなものがあった。しかし、その感情を突きつめようとすると、感情は逃れ、私の心の奥底の闇のどこかに、見失われてしまうのだった。それで私はあきらめ、それについて考えるのをやめると、思いはふたたびよみがえり、ごく曖昧な姿のままで、私の心の中央の座を占める。
 波は打ち寄せては還り、また打ち寄せる。私は、何という理由もなく、波打ち際に歩み寄り、靴が濡れそうになるあたりを、あるいはときおり濡れながら、つま先に水の冷たさを感じつつ、しばらくのあいだ歩いた。
 行く手に、波に濯われながら、じっと横たわっている何ものかの黒い影があった。近付いてゆくにつれて、それが人間の体であることが分かってきた。頭のほうを砂浜の側に向けて、足は水の中にあり、寄せては引く波に着衣を弄ばれながら、仰向けに倒れている。私はすぐそばまで行って立ち止まり、倒れている者の顔を見下ろした。それは私自身であった。
 私は濡れた砂の上に膝をついてかがみ、私自身であるその人物を抱き起こそうとした。しかしすでに呼吸は絶え、心臓も止まっていた。私の脚をひたす潮と同じほど冷たい体であった。唇に血の気はなく、まぶたを閉ざしたその顔は、薄明の空の色と同じくらいに青ざめていた。美しい顔であった。私は死んだ私を抱き寄せ、ほの明かりの中にその顔をしばらく眺めた。生命とともにこの世の塵あくたをも流し去ったようなその顔は、私自身の顔であったにもかかわらず、不思議に、特性を失っていた。どこかしら抽象的な、男性的でも女性的でもない、天使のような、あるいは、なぜかそのとき私は胎児の顔をも連想した。
 しとどに濡れた、体温を失った青白い皮膚が、もの哀しく、いとおしかった。その冷たい唇に、私はくちづけをした。