花文字

 赤い布で覆われたミイラがある。黒みをおびた、凝血を連想させる赤である。太い毛糸で織られた厚い織物で、頭からつま先までがゆるく巻かれているが、顔は露出している。口を大きく開いたまま、枯草色にひからびている。声のない叫びを永遠に叫びつづけている。男なのか女なのか分からない。年齢も、子供ではないと思われるが、老いているのか若いのか分からない。黄金の寝台に横たえられている。寝台に宝石の粒がいくつとなく散乱している。かつて首飾りや腕輪であったものが、それらの粒をつらねていた糸が切れて散らばったのだろう。床にも少し落ちている。灰白色の石の床である。ところどころに、天井や壁から崩れてきた、大きいものでこぶしほどの石の塊が転がっている。天井とすべての壁は金色に塗られている。天井の金色は剥落が激しいが、壁はよく残っている。砂ぼこりに汚れてはいるものの、私のランプの光を受けて、汚れの下からなお輝きを放っている。ごく狭い部屋である。窓はない。出入口は、壁を四角く切っただけで、扉はない。その向こうは真っ暗な廊下である。
 壁の、腰ほどの高さのところ、横たわるミイラよりも少し高いあたりに、赤い帯状の飾り線が、四方の壁をめぐっている。てのひらほどの幅の帯状である。その上と下とで、金色の塗料の成分が異なるようで、下のほうが、より黄色みが強い。また、下のほうが、より激しく損傷している。広範囲の剥落こそないものの、びっしりと亀裂が走っている。金色の下地が赤く塗られているので、亀裂はすべて赤い。網状に広がる血管のようだ。飾り線の、ミイラの頭の上あたりの位置に、金の象嵌で文字が書き込まれている。汚れのために判読できない。汚れていなくても、おそろしく緻密な花文字で、唐草文様のなかに意味が埋もれているかのごとき字体なので、判読しにくいのだが、それがこの地域の古代の神聖文字の特徴である。私は手持ちの道具で、慎重に、汚れを落とす作業をはじめた。
 室内には香の匂いがたちこめている。まるで遠い昔に焚かれたときのままのように、いや、今ここで焚いているかのように。むしろ、今ここで、過剰な分量の香を焚いているのではないかという、強烈な匂いである。私の知らない香である。乳香に似ているが、もっと薬くさい。そして、奇妙になまなましい血液臭めいたものが混じっている。まるで今ここで血が流されているかのような、室内のどこかに血だまりができているかのような臭いである。
 私は、古代の知恵を探し求めて、ここまで来たのである。はるかな過去に人々に見捨てられた都市の跡、砂漠のただなかで、私はここを見つけた。地下に広がる巨大な宗教施設の、最深の場所である。私のほかには誰も知らない。考古学上の名声を得たいという欲望は、私にはない。私はただ、人々から失われた聖なる知恵だけが、魂にかかわる知恵だけが欲しかった。要するに、救済が欲しかったのだ。それだけの理由で、私はここまで来た。世界の果ての、大地の胎の深くに降りた。そこに永遠の真実が眠っていることを期待して。
 いつごろの遺跡なのだろう。さまざまな特徴から、おおよその推定はできる。だが、私にはあまり興味がない。ほかの遺跡であれば、そうしたことに興味を持ったはずだが、ここでは、どうでもよいことのように思える。考える気がしないのだ。おかしなことだが、様式が示しているよりもはるかに、途方もなく、古いもののような気がしてならない。地面の底で、時の流れに置き去りにされたというばかりでない、むしろ、はじめから時の流れの届かない場所なのではないか。ここでの過去は、相対的な過去ではない、絶対の過去であって、時をさかのぼったある時点においてこのように作られたのではなく、はじめから、原初から、このようにあったのではないか。
 人間が作ったのではなく、なにか超自然的な力によって作られたのではないか。私はこの部屋にたどりつくまでに、おそろしく入り組んだ迷路を歩いてきている。様式の示すとおりの年代のものとして、私の知るかぎり、その年代のものに、これほど大規模かつ複雑な迷宮はほかに存在しない。私には、ふたたびその迷路をたどりかえして地上に戻る自信がない。もう無理ではあるまいか。道のりはあまりにも長く、まったくの暗闇であり、しかも背後にいくどか崩落らしき音を聞いた。
 今は、なんの音も聞こえない。無音状態、耳を圧するほどの無音状態である。芳香と血液臭がさらに強くなってきた気がする。ことに血が、あたかも血の海に投げ込まれたかのように。息が苦しくなり、作業をする手が震える。私は指先に意識を集中させる。手もとは明るい。ランプの光に照らされた四方の壁が燦爛と輝いている。地下とは思えないほどの明るさである。いや、地上の光にくらべれば暗いはずだが、長いあいだ闇を歩いてきた者の目には、そして視界の隅になお真っ暗な廊下を見ている者の目には、むしろ、まぶしい。地上のほうが明るいはずだということが、信じがたいほどに、明るい。目がくらむほどに明るい。圧倒的な黄金の光である。むしろ、この部屋こそが真昼である。永遠の真昼である。神聖文字がようやく汚れの下から浮き出してきた。このように読めた。
「あなたが殺した」