鳩笛

 小学校の物置の、奥の壁際の棚の上に、幼い少女の姿をした人形が座っている。あきらかに長い間、誰からも構われることのなかった人形である。埃をかぶり、衣装はいたみ、肌は変色して青灰色がかってみえる。四肢のつなぎ目が少し緩くなっているようで、首は片側の肩のほうへぐったりと傾き、両腕も肩からだらりとぶら下がっているといった感じだ。同じようにながらく誰からも忘れられつつ、薄汚れた花を咲かせつづけている造花の束が、彼女のまわりをわびしく飾っている。足もとには鳩笛がひとつ転がっている。埃にまみれたそれを吹こうという者はもはや誰もいないだろう。そしてまた造花の束をはさんだ彼女のとなりには、およそ幼女には似つかわしくもない、黒い木彫りのアフリカの仮面が、置き場に困ってここに投げ込まれたといった具合に、無造作に置いてある。それから、あまり美しくもない貝殻の、大きいのやら小さいのやらが、いくつか散らばっている。
 棚の背板に力なくもたれかかる、青ざめた顔をしたその人形は、あたかも死者のようだ。だが、死んではいないのである、生きていないのと同様に。彼女は生きてもいないし、死んでもいない。かつて生きていたことならある。彼女も人間であったのだ。しかし幼いながらに賢い彼女は、ある時点で、生きることをやめてしまった。成長することをやめ、しかもすみやかに腐敗するでもなく、ゆるやかに静かに朽ちてゆくことを選んだ。どうやったものだろう、この賢い少女は、どんな魔法を使ったものだろう?
 それで彼女は、われわれ生きている者たちを苦しめるところの、あの感情の嵐に巻き込まれることもなく、欲望の炎に焼かれることもなく、いつまでも花に囲まれて静かに座っている。色あせた花、しかしまた決して枯れることもない花に。
 乱暴な子供たちが廊下を走り回り、教室では机の上にのぼり、消しゴムを投げあったり定規を振り回したりなどして遊んでいようとも、この物置では、もしも備品を壊してしまったときの先生からのお仕置きを怖れて、悪さというほどの悪さはしない。それで少女は安らかに、彼女の暮らしを楽しむことができるというわけだ。
 アフリカの仮面や、大小の貝殻たちが、遠い国々の珍しい物語や、海の不思議の物語を、幼い彼女に語ってきかせる。それも既に幾度となく語られた、古い話ばかりだ。彼らはそれを飽きもせず、繰り返し、繰り返し語り、少女もまた、繰り返し、繰り返し語らせる。それはあたかも揺りかごを揺らし続ける、快い子守唄のようだ。
 ときに物置の奥のほうに迷い込む、うっかり者の、そして怖がりの子供の耳に、少女はそっと、昔この学校で起こった、不思議な、恐ろしい物語を、思いつくままに吹き込むことがある。どんな尋常ならざるいきさつがあって、この人形がこんなところに置かれているのか。それを聞いた子供は大あわてで物置を飛び出し、震えおののきながら、ほかの子供たちにその話を語ってきかせるだろう。それで数か月は、あるいは何年かにわたって、その物語が多くの子供たちを不安に陥れるのだが、もとはといえば人形みずからが出まかせに語ったことであり、そしてそのような出まかせが、結局は子供たちの求めるもので、子供たちを怖がらせつつも楽しませるものだと知っているのだ。
 そうやって、わずかな波風を立てることもあるものの、そのほかには出来事というほどの出来事もなく、ただ自分の肢体がゆっくりと朽ちてゆくのを感じながら、おおむね幸福に、そしてなによりも心静かに彼女は暮らしている。かたわらの鳩笛が、遠い昔から何も変わらない、懐かしい、単調な調べを奏で続けるのを聞きながら。