英雄

 燃えあがる夏の日、南向きの私の部屋はおそろしく暑く、私は部屋に入るなり窓を開けて、椅子に腰をかけ、風が通うのを待ったけれども、風そのものが燃えていて、いっこうに涼しくならない。暑さにぼんやりとした心が、やがて妙に、うっとりとしてきた。背もたれにだらしなくもたれかかり、窓を見やると、ちょうどそこにあった太陽が私の目を撃った。まぶしさに何も見えないようで、私ははっきりとそこに、太陽のなかに人影を見た。私の知った人影であった。ああ彼か、と思った。
 彼は私のなじみの、英雄である。夏の盛りが嬉しいようで、今日はまことに晴れやかに笑っている。いつもそうだというわけではないのだ。眉間に皺を寄せ、髪をかきむしり、まるで世界のあらゆる苦悩を背負っているかのような様子をしていることもある。今日はすこぶる上機嫌である。それで、じつに嬉々として走ってくる。太陽から飛び出し、太陽を背にして、まっしぐらにこちらへ走ってくる。天真爛漫の、子供の上機嫌だ。彼のそうした様子は、嬉しいことではあるけれども、なにしろ英雄である、古代の彫刻のように、すばらしく筋肉の発達した肢体に一糸まとわぬ、全裸である。全裸の男が嬉しそうに笑いながら走る様子というのは、なんと面白おかしいものだろう。彼はずっと私に会いたかったのに違いない、私もそうなのだが、しかしあまりのおかしさに、私はつい、笑いながら少しばかり身をひいてしまった。すると、まっすぐ私に向かっていた彼は、その勢いのまま、私の前を通りすぎて、天の高みとは反対の地の深みへと、止まることができずに走っていってしまった。
 太陽のまぶしさに撃たれたあとの私の目に、室内は夜のように暗い。奥の壁ぎわの床から下に、深い闇が広がっているのが見え、闇の底へ向かう坂道を駆けくだる、彼の尻が見える。どうやら彼のまわりに、二、三匹の悪魔どもがいて、彼にちょっかいを出しながら伴走しているようだ。角と尾らしきもののある、背の低い、緑や黄色の肌をしている連中である。悪魔も英雄も、たちまち遠ざかって見えなくなった。地獄へ行ったのだろう。
 残念なような、また多少は呆れたような気持ちで、私はそちらをしばらく眺めていた。しかたがない。またそのうち会えるだろう。彼は英雄である。地獄下りなど英雄の人生にはありふれた挿話にすぎない。そのときには私も地獄にいるのかもしれない。私のなじみの英雄、いつからとも知れぬ古い付き合いの、彼は私と別々の存在ではなく、ひとつの魂、彼は私なのだから。