山道

 存じております、あなたはもはや生きてはおられない。あなたの血、あなたの引き裂かれた肢体、あなたの片手や、脳髄の一部らしきもの、あるいはどの部分とも知れない肉片、それに引きむしられた髪の毛が、そこここに散らばっているのを私は見たのですから。そしてまた私は、あなたとともに歩いた、あの美しい山道をしみじみと懐かしく思い出します。まるで昨日のことのようです。木々の枝にさえずる小鳥たちの声を、私は今なお、耳の間近に聞く思いがします。木もれ日のきらめきを、今なおこの目に見ている気がするのです。そしてあなたの優しい笑顔をも。それはあまりにも遠い昔のことなので、じつのところを言えば、私はあなたの顔の造作をまったく思い出せないのです。私はあなたの顔を知らない。にもかかわらず、私はあなたの笑顔がどれほどに優しかったかをよく覚えているのです。ああ、あの山道! 懐かしさに、私は先日、あのあたりの詳細な地形図を取り寄せ、開いてみました。すると驚いたことに、そこに山道など存在しなかったのです。でも、それがどうしたというのでしょう。私はたしかに覚えているのですから。むしろ私は、あなたの死体がちぎれて散らばるあの光景を、どこで見たのか思い出せないことを訝しんでおります。私の部屋だったでしょうか。それとも、どこかの古い建物、たとえば由緒ある寺院ででもあったでしょうか。と申しますのも、そこは特別な、おそらくは貴い場所であったような気がするからです。覚えておられるならば、いつか教えていただければと思います。そうすればきっと私も思い出すでしょう。納得して笑うでしょう。一緒に笑いましょうね。懐かしい人よ! あまりにも懐かしく、そしてあまりにも遠い記憶であるがゆえに、もしかしたら、私の生まれるより前のことだったのでないかという気さえするのです。なんということ、私の愛するあなたは、私の生まれるよりも前に死んでしまった。そうであっては今さらどうやってお会いすればよいものでしょう。とはいえ私は覚えておりますから、私があなたにお会いしていたことは確かです。誰にもそれを否定することはできません。と申しますのも、あなたは私の愛する人、私の魂そのものなのですから、あなたの存在を否定することは、ただちに私の魂の存在を否定することなのです。誰にそのような傲慢な真似ができましょうや。それゆえに、私の魂がここにあきらかに存在する以上は、あなたは今なお私とともにあるのです。永遠に離れることなく、たとえ今は離れているかのようであっても、やがて必ず再び見つめあうときがくるのです。ああ、あの懐かしい山道! 地形図がそれを否定するとしても、私は山道を登ってまいりましょう。木々の枝が私をさえぎり、草の葉の鋸歯が私を傷つけ、血を流させようとも。いや、むしろ千の刃が私を切り裂かんことを! あの日あなたがあれほどに血を流されたように。あなたの苦しみが私の苦しみでありますように。その苦しみこそは無上の喜びでございましょう。私はそこで死にましょう。たいしたことではありません。あなたは死に、かつ、生きておられるのですから。あなたとともに眺めた、山上はるかに広がる青い空を、私はありありと思い出しています。そこには今なお、あの日と同じ快い風が吹き、美しい雲が流れているのでしょう。それが心に描かれるだけで、私はわが身が舞い上がり、風のごとき霊となり、雲の高みまでも飛んでゆける気がするのです。あなたのように。かつて、はるかな昔、生まれるよりも前のこと、私はこのように地面に縛りつけられた不自由な身ではなかった。あなたはといえば限りなく自由で、空の高みから、緑なす山を風とともに舞いくだることができるでしょう。私はあなたを愛することによってのみ、かつての軽やかにして浄い体に戻れるのです。さもなくば私は、私を縛りつける地面と同じ、土くれにすぎません。あなたへの愛だけが私を救うのです。それはただちに、あなたの愛によって私がすでに救われているということでもあります。と申しますのも、私があなたを愛するのは、あなたが私を愛していることの反映にほかならないことを、すでに存じておりますから。愛する人よ、どうか私を迎えに、輝く山上から舞い降りてきてください。私もまた舞い昇ってまいります。それは世の人々が想像するであろうほどには、大それたことではありません。ただ原初に戻るだけです。私の生まれるよりも昔、はるか昔に、はじめに世のありし如くに戻るだけです。それは少しもおかしなことではない、とても自然なことです。私を地面に縛りつける力は消え失せます。時間は円寂します。