衛兵

 幼い日に林のなかで見たもののことを、彼は今なお思い出す。記憶のなかで、林の奥へと続く道をたどるとき、それがそのまま自分の心の奥深くへ向かっての道のりであるように感じる。彼をとりまく木々の梢は日の光を透かしてきらめき、風にざわめき、緑の波のなかを歩むようであり、また、緑の渦にのまれて林の奥へと引き込まれてゆくようでもあった。そのとき幼い彼はひとりきりであった。彼のほかにただの一人の人影もなかった。どうやって迷いもせずに道をたどり、再び戻ってこられたものだろう?
 彼は当時、林のなかの小さな集落に住んでいた。小学校に入るときに大きな街に引っ越したので、これはそれより前のことである。
 道は細い砂利道で、進むに従いさらに細くなった。彼はまったく怖れなかった。ふと、彼は道からそれて木立ちのなかに歩み入った。そのまま木々のあいだを歩いていった。人間の作り出したものが何ひとつ見あたらない景色を、おもしろく思いながら歩きつづけた。やがて、あまり高くはない崖の下を通りかかると、そこにごく小さな洞があいているのを見つけた。彼のような子供だけが、腹這いになってようやく入れる大きさしかない洞である。入ってみると、狭いなりに、子供が立って歩けるだけの高さと広さは充分にあった。天井に小さな割れ目があり、崖の上に生えている木々の枝が見えた。枝越しの日ざしが洞のなかにも少しばかりさし入り、壁の一か所を明るくしていた。そこが明るいのは日ざしのためばかりでもないことにすぐに気がついた。楚々として白い、あるいは透明な、美しく鋭い先端を持つ六角柱状の鉱物の結晶が、いくつとなく群がり、きらめいていたのである。日のあたっていないところも、その暗がりに目をこらしてみれば、すべての壁面が、床から天井にいたるまで結晶に覆われているらしかった。驚き、うっとりしながら、再び壁の明るいところへ目をやると、幾本とも知れない水晶の剣に守られるようにして、それら群晶のうちに身をひそめている不思議なものに気がついた。すみれほどの丈の草がひともと生え、可憐な花を二、三輪咲かせている。だが、その草のすべては水晶でできていたのである。花も茎も葉もすっかり透きとおって光っている。しかもまったく自然で、とても作りものには見えない。子供は顔を近寄せ、目をこらした。葉脈のこまやかなこと、茎の細くしなやかなこと、花びらの信じられないほどの薄さ、しかも限りなくたおやかな曲線を描きつつ広がっていること。それらは何者かの手によって石から掘り出されたものではなく、どうしても、その不思議な植物自体の、内からの力、生命によって支えられているように見えるのだった。
 どうやって子供ひとりの力でその水晶洞にたどりつき、不思議な花を見出すことができたのだろう。妖精たちの手引きではあるまいか。そうに違いないと、大人になった彼は本当に思っている。幼い頃にはそんなことは思ってみもしなかった。ある程度大きくなってからである、木々のざわめき、揺れる木もれ日のうちに、何ものかの気配をおぼえるようになったのは。彼はそれを妖精だと思っている。それを人に話せば笑われることは分かっている。しかし彼自身のうちにはそれを疑う理由が見出せないのである。人々が疑うのは、人々の側の理由であって、彼の側のものではない。何か理由というほどのものがあって、それを妖精だと信じているわけでもない。ただ、目には見えないが、不思議な生気に満ち、おそらく善意の存在であろうそれを、妖精と呼ぶのが一番しっくりくるというのみである。幼い頃の彼は、ほとんど誰とも話さない子供であった。内気というのでもない、ただ、一人いるのが楽しく、他の者と話す必要をさして感じなかった。また、幼い彼には必要というほどの必要もなく見えるのに、常に誰かと話をしていたがるらしい、それらの人々のことを、自分とは少し違った生きもののように思っていたからでもある。それは大人になった今でも本心のところでは何も変わってはいないのだが、ともかく、誰とも話さない子供であるということを、妖精たちは分かっていて、それで水晶洞と花のことを特別に教えてくれたのだろう、と彼は思っている。そればかりではなく、妖精たちは、目には見えないけれども、幼い彼といつでもともにいて、遊んでくれていたように思う。そのころの自分は、自分自身のことにばかり夢中で、彼らの存在にまで考えがまったく及ばなかったものの、彼らは常に自分のまわりで、見守り、導いてくれていたのではないか、という気がするのだ。
 今にいたるまで水晶洞と花のことは誰にも話していない。話したところで誰も信じず、笑われるだけのことではあろうが、それは彼自身の思い出と妖精たちの宝物とを侮辱し、また妖精たちからの信頼を裏切ることになる。だが、神秘の花のことを信じない人々でも、水晶洞のことは信じるかもしれない。それがいっそう恐ろしい。彼当人もそれがどこにあったか正確には分かりかねる水晶洞を、人々は探し当ててしまうかもしれない。彼らはきっと興味本位で、あるいは金銭目的で、洞を荒らしてしまうだろう。彼らに花は見えないかもしれないが、花の実在がそれで否定されるわけではない。すべての花がそうであるように、花の咲く時期というものがあるのかもしれないと、彼は本気で思っている。そもそも、彼らのような者たちには不可視の花であるのかもしれない。だが、見えたとしたら、人々はそれを、由来の知れぬ珍奇な工芸品として扱うのだろうか。その由来をもしかしたら学者が詮索でもするかもしれない。測定し、分析し、要は、単なる「物」として。そういう事態こそは、妖精たちへの自分の裏切りとなる。しかし自分が黙っていさえすれば、誰にも決して知られることはないだろう。人ひとりいない林のなかの、細い道からさえはずれた木立ちの奥である。さらに加えて、誰にも見つかるまいと考える根拠がある。その細い道に入るには、まず幼い頃に住んでいた小さな集落に入らねばならないが、その集落はもう滅びたのだ。
 大人になってから、用事で集落の近くまで行ったことがあり、時間に余裕があったので、集落にまで足をのばしたのである。引っ越して以来一度も訪ねたことはなく、どうなっているのかまったく知らなかった。そこには誰もいなかった。それぞれの家屋は残っていたが、生活の気配がなかった。おそらくは人々がそこを立ち去るときに、すべての家財とともに生活の痕跡もきれいに拭いとったとみえ、家屋は表情を失い、色あせ、いくぶん朽ちはじめて、つまり、それらの建物はすでに死んでいた。家々の庭、また玄関わきの小さな植え込みといったものも、おおかたの木は伐られ、花々は抜かれてしまっていた。かわりに雑草が生い茂り、なかには子供の背丈よりも高く伸びているものもあった。大人の親指ほどの太さの茎に、掌ほどの葉を何十枚と茂らせているものもあった。悪魔のような厚かましさであった。それらは彼のかつての家の庭にも入り込んでいたのである。薄汚いつる草が家々の雨どいを這いのぼり、何軒かは屋根の上にまで広がっていた。道の舗装のあちこちの小さな割れ目からも、ぞっとするほどの勢いで雑草が生え出ていた。彼の家から数軒離れたところに木造の小屋があり、かつてもすでに傾きかけていたような古びた建物ではあったが、それが完全に朽ち、屋根が破れ、窓が落ちてしまっていた。崖の真下にある数軒の家、そこには彼の家も含まれているが、いや、他人の手にわたってひさしいので、彼のみならず両親も、彼らの家がどうなっているのか知らずにいるのだろうが、いずれの玄関の戸にも、自治体による「崖崩落の危険あり、立入を禁ず」という張り紙がされていた。幼い頃に見たその崖は、もっと愛想のよい明るい “急斜面” であったように思う。丈の低い草が芝生のように生え、可憐な野の花が咲いていたのだ。ところが今では気味悪く大きな葉を持つつる草に覆われ、その葉の下にわずかに見える地面は、小石の目立つ荒れた肌をしている。そしてかつてよりも確かに傾きが急になった気がするのだ。もしかしたら小さな崩落はすでに起きたのかもしれない。崖の上に生えている木々には、見覚えがないでもないが、子供の頃よりずっと大きくなり、枝をはり出して日をさえぎり、崖下へ向かってのしかかるようで、そこにいると威圧されるように感じるのだった。これでは張り紙がなくても近寄る気にもならない。懐かしい家、さまざまの思い出のある家が、こうなってしまったことに、心の傷つきをおぼえ、警告の張り紙はまったく適切なものであると理解はしているにもかかわらず、あたかもそれを自分に不当に加えられた恥辱のようにも感じながら、しかしそれらよりもさらに強く、このようにして人間の世界を侵食していく自然の威力への畏怖をおぼえていた。彼らの勝利だ――彼は思った、妖精たちの勝利だ。
 林のなかを水晶洞の近くまでのびている細い道は、あいかわらず舗装されないまま、荒れていた。それでも集落の庭ほど草むしているわけではなく、雑草の丈は低く、まれに草を刈る者もいるのではないかと思われる。山菜採りにでも入るのだろうか。それにしても集落が生きていた頃でさえわずかな人通りしかなかったこの道を、これから通る者はほとんどあるまいと思った。まして道からそれて木立ちのなかをさまよい歩く者などいるだろうか。彼は林の奥へと続く道の行く手を眺めた。あの頃とかわらず木もれ日がきらめいている。自分さえ黙っていればよいのだと思った。
 黙っていることが、妖精たちへの忠義を示し、水晶洞とその神秘の花とを守ることになる。そのようにして、彼はいわば、妖精たちの王国の門のひとつを守る衛兵となることができる。人間として生きながら、彼らの王国に、その一員として加わることができるのだ。その考えが彼を幸福にした。誰にも打ち明け得ない喜びにひとり微笑した。林から離れ、どこに住んでいようとも、ただ思い出を保ち、心のその部分を永遠に他の人間たちに対しかたく閉ざしているかぎり、妖精たちの世界はつねに自分とともにある。人々に告げれば妄想と片付けられるであろう、そんな考えを、彼は信じ、人間としてのありふれた日々をおくりつつ、なかばは妖精として生きている。