十歳になるかならぬの頃だったと思う。曾祖母の何回忌かで、かつてその曾祖母が住んでいた田舎の大きな古い家に、私の両親と一緒に幾夜か泊まったのである。家のまわりには竹林と水田が広がり、さらにそのまわりを低い山に囲まれている、小さな集落であった。真夏で、窓という窓は網戸を残して開け放ち、昔ながらの火を使う蚊取線香の匂いがたちこめていた。いや、そうではなく、私のいた数日の間は仏壇にたえることなく供えられていた、線香の匂いであったかもしれない。
 夜、網戸の外は真っ暗であった。蛙の声さえしなければ、まるで外には何も存在しないかのようだった。ところがあるとき、その頃の私の掌ほどもある大きな蛾が一匹、翅をいっぱいに開いたかたちで、網戸の外側に、張り付いたようにとまっていた。室内の光に照らされたその翅は、模様はなく、濁りのない淡い青磁色をしていた。美しかった。が、生きているものの美しさではないような気がして、しかし現に生きているということに、気味の悪さを感じて私は後じさった。
 日の光の下で見る蝶々の色には、生命の感じがあった。日の光によって作り出された虹の彩りが、生命をおびて、あるものは花となり、あるものは蝶々になったのだろう。だが、美しい蛾は、幽霊のようだった。その色は、死の色だった。かたちもまた、青空を舞う蝶々の軽やかさと異なり、どこか重苦しい。といって翅はやはりごく薄く軽くできているのに違いないが、かたちそれ自体が、どこか陰気で、憂鬱な感じなのだ。
 後じさった私は、しかし、その場から逃げ出すでもなく、そのまま見入っていた。ごく珍しい生き物に出会ったという、好奇心が私を引き止めていた。……オオミズアオといって、そう珍しい蛾ではなく、田舎にしかいないわけでもなく、都市部の街灯の下を飛んでいることもあるのだ。が、私には初めて見るものであったし、また、必ずしもその蛾それ自体に見入っていたわけでもなかったのだろう。私は、不吉な美しさ、というものとの出会いに驚いていたのである。
 そういえば、こんなこともあった。やはり子供の頃のことである。どこへ行こうとしていたのか、あるいは帰ってくる途中であったのか、私は夜行列車に乗っていた。やはり夏で、当時はまだ冷房のない車輛が少なからずあり、私が乗っていたのもそうだったので、窓を開けて、草の匂いのする風に吹かれながら外を見ていた。さきほどの曾祖母の法事の行き帰りだったかもしれないが、おそらくもう少し後のことだったと思う。列車は各駅停車で、田舎の小さな駅にほんのしばらく停まった。ホームのへり、車窓からすぐのところに、植木鉢が並べられ、旅行者の目を楽しますさまざまの花が植えられていた。それらの花の一輪に、不思議な虫が一匹とまって、蜜を吸っているらしかった。翅を激しく震わせている様子は、蜂のようであったが、華やかな薔薇色の体を見ると、蜂とは思えず、蝶々のようでもあったが、それも違う。私はたまたま子供向けの科学雑誌でこの虫をすでに知っていたのである。これも蛾の一種で、ベニスズメというのだ。しかし、蜂のような蝶々のような、そんな蛾が本当にいるのかと、どこか訝しみながら雑誌を読んでいたので、実際に目の前に現れたときには、不思議な気がした。もっと見ていたかったのだが、すぐに蜜を吸い飽きてしまったようで、列車の短い停車時間が過ぎるよりも前に、花を離れたと思うや、たちまちに飛び去って暗がりの中に見えなくなってしまった。
 そんなふうに、子供の頃から蛾に興味をおぼえることが多かったのは、ひとつには、当時から私が、今にいたるまでずっと、夜ふかしが好きであるということと関係があるのかもしれない。親からいくら叱られても、いくら授業中に居眠りをして先生に叱られようとも、私は自室のベッドの中で、あるいはベッドからこっそりと起き出し、真夜中の静けさと独特な昂揚感とを楽しむのをやめなかった。幼い頃にはただ楽しいというばかりだったが、少し大きくなると、今目覚めているのは自分ひとりであるという切なさが、あたかも果汁のように豊かに含んでいるところの甘やかさを、好んで味わうようになった。そんな真夜中に、私の学習机のスタンドのまわりに、子供の指の爪ほどしかないごく小さな蛾が、どこかから飛んでくることがあった。蛾は私を怖れる様子もなく、しばしば机の上に舞い降り、翅をやすめるのだった。私は顔を近寄せてじっくりと観察したが、一向に逃げようとはせず、ただ、少し困ったように体の向きを変えるくらいだった。地味な薄茶色の蛾であった。もしかしたら、野菜なり穀物なりを食害する種類であったかもしれない(後に害虫についての新聞記事で、似たようなものの写真を見たのである。とはいえ、小さくて薄茶色をしているという以上の特徴もない蛾であったし、そんな特徴を持つ種類は他にいくらもいそうな気がする)が、よく見ると、光の当たり具合によって、鱗粉が金色を帯びるのだ。鋭く輝くというわけではない、穏やかな、落ちついた金色で、ちょうどその頃、買ってもらって愛用していた、金銀を含む二十四色セットの色鉛筆の、金の発色に似ていた。私はさらに片方の頬を机に押しつけ、蛾の姿を真横から観察した。すると、それはそれは小さな、黒い粒のような目がついているのを見つけた。愛らしいと思った。そして、誰もみな寝静まった深夜に、ともに目を覚ましている仲間であるという気がしてきた。孤独の甘やかさを分かちあう特別な仲間である。やがてどこかへ飛び去っていくまでの間、私はそのようにして、自分も小さな生きものになりきって過ごしていたのである。
 だが、昼間に蛾を見かける機会がまったくないわけでもない。昼行性の蛾というのが存在するというばかりでなく、夜行性であっても、なにも朝日がさしそめるとともに消え失せてしまうわけではない。単に、身をひそめているだけである。これも子供の頃の私であるが、昼下がり、学校の裏庭の、校舎が光をさえぎって薄暗いあたりでひとりで遊んでいた。遊んでいたとはいっても、ほかの人々には、ただぼんやり立っているように見えたかもしれない。私には、雑草の花を眺めたり、電線にとまっている鳥の声を聞いたりするのが、愉快な遊びであった。空はまばゆく青かった。やはり真夏であったように思う。日ざしの下で元気に駆けまわる子供たちも、きっと大勢いたのに違いない。私は、暑いのも、まぶしいのも、苦手であった。裏庭の一角に、物置だったろうか、古い小屋があり、その陰は一日じゅう日がささず、天気のよいときでもじめじめして、苔がたくさん生えていた。そんなところに好きこのんで近付くのは私くらいのものだったろうが、そこは夏でも涼しかった。また、誰も近付かないだけに、いつでも静かであった。私には居心地の良い場所であった。ところがあるとき、まったく思いがけないことだったのだが、小屋の黒ずんだコンクリートの外壁に、それは大きな、気味の悪い蛾が一匹とまっていたのである。種類は分からない。大きく開いた両の翅の、端から端までで、十五センチかそれ以上あったような気がするが、子供の目には実際より大きく映っていたかもしれない。そうだとしても、少なくともそのときまでに私が見た蛾のなかではずば抜けて大きかった。しかし私を驚かせたのは、大きさより、模様だった。焦茶色をしたその翅は、不気味な顔に見えた。得体の知れない何者かの、理由の分からない渋面であった。何かをひどく不快がっている顔であり、それがこちらをもたまらなく不快にさせた。我々の理解できる快不快でない、我々とは異なる世界から唐突に突き出された顔であり、ただ、それが我々のことをも不快に思っているということだけは分かる。歩み寄りの余地もない、底の見えない悪意を感じて、私の足はすくんだ。全身に震えがきて、一目散に逃げた。世にも恐ろしい顔に見えたその模様が、具体的にどのような模様であったのか、いまやまったく思い出すことができないほどに、そのときの私は動転していた。それからしばらくの間は、私のお気に入りのその場所に近付くのに、こわごわと、蛾の気配がないかどうかうかがわねばならなかった。だが、蛾にしてみれば、真夏の日ざしと暑さを避けて、居心地の良い日陰で休んでいただけのことだ。私がそうしていたように、蛾もそうしていたのである。子供を驚かそうなどとは思いもよらなかったのに違いない。


 つい先日のことである。山あいの温泉宿に停まって、真夜中、窓の外を見ていた。見ていたといっても、何も見えはしなかったのである。月は雲の陰にすっかり隠れていたし、民家の明かりもなく、街灯さえ見当たらなかった。つまり、宿の垣根よりも向こうは誰も住んでいないのだろう。そう思うと怖いような、しかし心惹かれる怖さであって、それで私は何も見えないところに目を凝らしていたのである。私の夜ふかし好きは子供の頃から変わらない。みな寝静まり、話し相手が誰もなくても、充分に楽しい。とはいえその晩は、旅疲れ、また湯疲れもあり、窓辺の籐椅子に腰かけたまま、やがてうつらうつらとした。室内の明かりは、外を見る妨げにならぬよう、足もとの常夜灯だけにしていた。私はほとんど暗闇の中にいたのである。ところが、閉ざした瞼の内からでもほのかに分かるほどの光がさしてきたので、私はぼんやりとした意識のままで目を開けた。窓の外で、雲が切れて満月が現れ、天と地に青い光を投げていた。地上に広がっていたのは、花園であった。見渡すかぎりに花が咲いている。花は、日の光のもとに生まれ、虹の彩りをまとった、蝶々のともがらではなかったのか。だが、真夜中に咲いているこの花々は、昼に見慣れたものとは違う、異様な色とかたちを持っていた。すぐに私は気付いた、すべての花が、さまざまな種類の蛾に酷似していることに。乾燥花のように茶色味を帯びたものが多く、そうでないものもどこか寂しくくすんだ、あるいは沈んだ色合い、さもなければ毒々しく鮮やかな彩りであったりもした。ひらひらとしたオオミズアオの花、ぽってりとしたベニススメの花、ほのかな金色をおびた薄茶の小さな花や、焦茶色の大きな花弁に目玉状の奇怪な模様のある花も、夜風に揺れて咲いていた。いずれの花も、昼の花々あるいは蝶々に対して、畸形的な、病的なものであるかのように見え、不安な気分にさせた。だが、それらは青い月明かりの下で、たしたに、美しかった。幽霊のように、死のように美しかった。
 ふと、天国とはこのような所ではないか、と思った。世の中で思い描かれている天国は、日の光に満ちて明るく、すこやかな花々が咲き広がる所であるのに違いない。だが、夜を愛する者たち、昼の世界においては変わり者である我々のために、特別に用意された天国というものも、あるのではなかろうか。風変わりな魂が、そのままに、あるがままにあることを認められている。この世では異端者であっても、あの世ではそうではない。
 ——真夜中に目覚めている詩人のための天国である。
何者かのそんな声を聞いた気がした。
 うたた寝からさめきらぬ心に映ったつかの間の幻影であったことは、言うまでもない。宿の垣根の向こうは、夜風にさざめく笹原であった。それは、月光を浴びて銀色の細い帯のようにみえる小川によって、さらに向こうに広がる畑と区切られていた。そして、それらすべてが山林に囲まれた、あまり広くない谷間の平地であった。それはそれで美しい光景であった。そしてまた、夜を愛する者には、現実と夢とはそうはっきりと区別すべきほどのものではない。